創作後記ー習作「創るということ」
どうもこんばんは。
前回を含め、前中後編の三部で拙作「創るということ」をご高覧いただきました。お付き合い頂きましてありがとうございました。
自分が振り返って読んでみても、拙い点ばかりで笑えてくるものです。
本当にありがたいことに感想のコメントもいただきました。
思わずハッとするご意見で、ありがたいばかりです。あんなものを読むだけでも時間の浪費なのに、コメントを書く時間まで使わせてしまったと、なんだか申し訳ない気すらしてきます。
そんなありがたい言葉の中で、とりわけ自分の創作と向き合うのに契機になったのが、「描写が過剰だ」というコメントです。
この指摘は自分の中では意外ででした。というのも、書いてる時に一番筆が乗ったが指摘のシーンだったからです。しかし「筆が乗っている」=「内容が伴っている」ではないので、調子のよいつもりでたくさん書けば書くほど、内容のない文章が作品全体のほころびを広げているかもしれないわけです。
自分が調子のよいつもりでいた描写が読者には過剰だったということは、どういうことか。
この習作の反省の核の部分を考えている気がします。
文章における描写は美術で言えばデッサンみたいものです。それが過剰だった、つまりそれに重きがいってしまったということは、白いスケッチブックに鉛筆と消しゴムでありのまま書いただけ、ということになるのではないかと。描写がありのまますぎて、そこから作品の空気感や登場人物たちの言葉にしない機微が伝えられていないということかと。
描写が描写でしかない。ありのままの絵面だけを伝えるのならば、ご指摘の通り、そんなに過剰でない方が読者の想像力も相まっていいのかもしれない。
なるほどな…、やっぱり、人に読んでもらうと為になる。
過剰だと思わせる「ありのまま描写」でなく、より空気感を伝える「雰囲気描写」を心がけてみよう。
さて、私にそんなものが書けるのかしら。
今回の作品をかいてみて、振り返って、思うことは、私はまだまだ作品と対峙する姿勢が未熟だということです。
書きたいことの輪郭部がぼんやりと滲む程度で、ぜんぜん形になっていない。このもどかしさ。どうしたら、いいのか。何が書きたいのかもっともっと向き合う前に来てしまった締め切り。不完全燃焼。
このもどかしさが、次回の習作への私のモチベーションになっています。
もっと勉強して、もっと書きたいことに向き合って、また今回のテーマに挑みたいと思います。
では、こりゃまた失礼いたしました。