本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。 コカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

AM1:00-3:00

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

習作「創るということ(1)」

 

どうもこんばんは。

 

先月末に公募用に書いた短編です。

3パートぐらいに分けて記録します。

ご忌憚のない意見、賜りたいです。

 


   幕が上がる。照明が灯る。何百という客席の視線が舞台に集まる。その視線の先に、私はいない。私の抜けた私の肉塊が、私を探し求めて、舞台上の異空間を漂う。
   私はその自分探しのことを「踊る」と言っている。

 

   5歳の頃、母親と母親の高校の同級生という人に連れられて、横浜で初めて観たバレエが私の人生を決めた。舞台上で、舞うその人は美しく、可憐で、舞台の板の上を翔ぶように滑りながら、私では決して、たどり着かない空間をうっとりと漂っていた。私もその空間で漂ってみたかった。同じ舞台の板の上なのに、私が立っても行き着くのは、けっしてあのプリマが舞う空間ではない。行けないとわかると、行きたくなった。漂ってみたくなった。

   ほどなくして、近所のバレエ教室に通い始め、近所の女の子達に紛れて、少しづつ漂い方
を学んだ。毎週火曜と金曜のレッスン日は幼稚園から帰ると、バレエ教室に行くまでの時間にステップの復習をしながら飛び跳ねては、バタバタするなと、母親に怒られた。
    小学生になり、クラスメイトが火曜の夜のアニメの話をすることにはついていけなかったが、あの日横浜で見たプリマには近づいている気がしていた。学年も進むと、私の生活はいよいよバレエが中心になりつつあった。その頃から、バレエは女性の世界だというステレオタイプを、未だに抱いていた父親は私の生活がバレエに染まるのをなぜか心配し、私のバレエの活動を支えてくれていた母親との間にいざこざが増えるようになった。。当の私は、いざこざの契機であるバレエに夢中で二人の険悪な仲に気づいていなかった。それを私に見せまいとした両親の優しさなのかもしれない。
   中学に入ると、すぐに両親は離婚した。母親に引き取られた私は母親のお陰で踊り続けることが出来た。HRが終わると、校庭で素振りしている野球部のクラスメイトを尻目に家路を急いだ。幼い頃のような火曜と金曜などと言わず、この頃には週に6日は当たり前のように踊っていた。レッスンが始まる1時間前には、皆がストレッチをし、体を温めていた。女の子しかいなかった私の周りは、同比率くらいの男の子も増えて、父親の杞憂を思った。本当の離婚の原因が父親の不倫にあることを知るのはもっと先だった。

   ちょうどその頃から、私は通っていたバレエ教室の先生の勧めで、東京の有名な教室に通うことにした。ある日のレッスン後、先生に呼ばれ、次のレッスンには母親を通れてくるように、と言われた時は何か怒られるのかとドキッとしたが、先生が母親に、私のバレエに対する才能をかっていることを、言葉を尽くして語り、東京の名門教室に通うこと、それは先生の後輩になることを意味するわけで、母親に目を輝かせて力説した。私は先生が私のことをそんなに認めてくれていたなんて知らず、驚いたが、母親の返事の早さにはもっと驚いた。

 

   中学の3年生から通い始めた東京の教室では、今まで認められていた私の踊りを皆が、私よりも幼い子達まで含めて、当たり前のように踊っていた。私は、地元で置かれていた私への一目を、逆に私の足元で踊る女の子に置くようになっていた。何よりもそんな年下の女の子が私よりも板の上で舞う自由度が高いのに、バレエを通じての初めて嫉妬を覚えた。それが今までのバレエとの向き合い方を変えた。私は東京の教室に通うようになって初めて触れた、意識の高さに感化された。その変化に母親はいち早く気付き、歓迎した。母親はバレエだと言えば、どんなことでも許した。

   しかし、意識の高さとは反比例するように、高校生になる頃から、踊っていて楽しいという感情が薄れていった。母親の喜ぶ顔、周囲の熱量、自分のいない、自分の知らないところで、ふつふつとエネルギーが熱せられ、バレエに対するモチベーションに変換された。踊っているとき、そこにいるのは私ではなかった。私は踊りながら、私を探した。しかし、踊っている私は私ではないのだから、私を探す私も私ではないのだ。

 

「お前が踊るだけで何人の『私』が出てくるんだよ。デカルトかよ」
   そう言って笑う男は、踊っていない私が唯一安定して存在できる高校のクラスメイトの原田だった。いつも何かをバカにしたように、でも、物事の真芯を捉えたような物言いをする男だった。
「楽しくないのに踊ってるってなんだよ。それも馬鹿みたいに毎日毎日さ。俺だったら、、途中で飽きるね」
   私が抱く踊ることに対する不安を原田は嗤って一蹴した。嗤いながら、今日は何食べようかなと呑気にファミレスのメニューをめくっていた。
「早く決めろよ。どうせいつものカレーハンバーグドリアなんだろ。そりゃ、もう飽きるとかいうことを超えてんだよ。」
「飽きるを超えるってなんだよ。なんかさ、その物憂げに思案しながら踊ってますってポーズに酔ってんのかね」
   原田がメニューをめくる手は止まっていなかった。
「違うよ。だから、あれだよ…、そのさ、そう、お前がそうやっって何食べるのか悩むのと一緒だよ。」
「どういうことだよ。」
「お前はそうやって、毎日毎日何食べるか悩むわじゃん。飽きてないわけ?」
「そりゃ、飯を食うのは飽きるとかそういうことじゃないだろ」
   原田の目がメニューから上がって私を見る。
「それだよ」私はその目をまっすぐ見つめ返した。「飽きることを超えた行為じゃないか」
「飯を食わないと死ぬ。踊らなくても死なない。以上だな。」

 原田の目が手元のメニューに降りた。その先にはいつものカレーハンバーグドリアがあった。
   いつも原田と二人で来るファミレスは、放課後の高校生、大学生にまみれていて、みんな同じような顔をしている。ただ、制服と私服という表層的な部分だけが高校生と大学生を区別していた。もっとも、大学生もみんな、女性は茶色のニットを首元まで、男性は縦縞のシャツを、それぞれ同じように着ていて、それが大学生としての制服のようだった。

 

どうして私が踊るのか。
   初めて横浜でプリマを見た時の感動を追っかけていたはずなのに、今はもう私が踊りたいという気持ちの依拠するところがそこではないような気がしていた。それでも、踊るし、飽きていなし、いっそ踊らない私は死ぬのかもしれない。そしたら、バレエも食事も一緒だ。踊らない私が死んだら、原田は飽きるを超越したものとしてのバレエを認めるだろうか。それを目的に踊っているわけでもないのに。

「お待たせいたしました。ハンバーグカレードリアでございます。こちらの器の方、お熱くなっておりますので、お気をつけください」
   店員が原田の目の前にカレーハンバーグドリアが届いた。
   私の目の前には、季節限定の栗をメインにしたミニパフェが届いた。先に取りに行ったドリンクバーのコーヒーは少し冷めてた。原田のメロンソーダも氷が溶けて、グラスの上で透明の層を作っていた。原田はそれをガサツに混ぜてしまう男だ。私だったら、混ぜないようにそっとストローを落とすのに。
「どうして、お前はフルート吹くんだよ」パフェのミントは食べないので紙ナフキンの上にどかす。。
「そりゃ、楽しいからさ。でも、俺はフルートに飽きる時はあるし、そういう時は部活も行かないよ。まあ、それが今日なんだけどね。それこそ、パフェのミントみたいなもんじゃない?」
「どういうこと?」
「なんというかさ、音楽は無駄なんだよ。それに意味を付けていくっていうかさ、大切なのは音じゃなくて、それを通して見つけた意味なんだよ」
   無駄なものに意味を付ける行為が表現という原田の考えが、私にはわかったような気もするし、分かっていない気もした。でも、パフェのミントがちょっと違うことは分かった。

 

読んでもらえただけでもありがたいことです。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。