本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。 コカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

AM1:00-3:00

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

イキウメ「終わりのない」

 

世田谷パブリックシアターで公演中のイキウメの公演「終わりのないもの」を観劇。

「ザ・前川戯曲」といった感じのSFの世界観を通して人間の存在そのものを透かし見るような作品だった。

 

少し早めのつもりで茅ヶ崎の駅を出る。

BGMには前日の深夜に特番として復活した「根本宗子と長井短のANN0」

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番組冒頭からぶっ放すスピードとハイテンションに一見さんは付いていけまい。乗った瞬間にいきなり急降下するドドンパは当然ながら安全バーを下ろす猶予は与えられない。

そのスピードのくせに中身は全くない。万が一、億が一、兆が一、本人の耳に入ったとしても怒られることはないだろう。だって本当に中身が無いんだもの。一口目で具にたどり着かないに肉まんなんだもの。

でも、あの変わらない安さにホッとする。具にたどり着かない理由は材料費の高騰でも、増税でもない。創業以来の変わらない中身のなさ。レギュラー放送時代から中身のなさは変わらない。今、思い出そうにもトークの内容が浮かんでこない。それでも、2人がわぁーっと騒いでる時間が懐かしくすらある。

中央林間から三軒茶屋までの田園都市線の車内が深夜のサイゼリヤかジョナサンのような2人の会話。この2人のおしゃべりを聞いてて疲れない限り、私は人生を楽しんでるのかもしれない。一回聞いてみてください。これを聞いて疲れちゃったら、どっか無駄に力が入ってるのかもしれない。

根本宗子と長井短オールナイトニッポン0(ZERO) | ニッポン放送 | 2019/11/07/木 | 27:00-28:30 http://radiko.jp/share/?t=20191108030000&sid=LFR

 

そんなこんなで三茶に到着。6月の「キネマと恋人」以来のパブリックシアター。開演まで1時間あるので、ふらっと夕方の三茶を歩いてみる。駅周りは飲み屋が立ち並ぶ繁華街でも、一本路地を行けば生活感のある商店が並ぶ。コーヒーでも飲もうかと探してみると、初めての通りの初めての店。「オブスキュラ マート (Obscura Mart) 」さん。

OBSCURA COFFEE ROASTERS

自家焙煎が売りのコーヒー屋さんで、この日は浅煎りのものをいただく。口当たりのいい刺激のない酸味と最後口に残るはフルーティーな爽やかな甘さ。コーヒーが果実由来だということを思い出す。

 

時間もいよいよ開場開始から10分を過ぎたところ。そろそろ客席に入る。

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冒頭の幻想的な羊水に浮くかのようなプロローグ。言葉はない。

物語は主人公の語りから始まる。この語りがなんとも前川さんの脚本らしい。

前川戯曲の魅力はなんと言っても、SFの着ぐるみを着た物語が紡ぐ人間の根源を問う哲学だ。今作も周りから置き去りにされてしまっている距離に気づき焦り始めた青年が、人間の「無意識」という私たちの未知の意識に接続することで時空も宇宙空間も並行世界までもを超えて旅するスペクタクルストーリーだ。

私たちはその旅を通して、常に欠落していく分岐した片方の世界線に気付かせられる。全員が迎えている今この瞬間は、私が迎えた今とは違う形で迎えられている世界線で同じ瞬間として、宇宙空間を超えたどこかに存在している。その数、無数だ。

その存在の膨大さを知るということが、私たちに与える感覚はどこかふわりとしていて、実感として掴めないのに、感覚としてはズドンと重たい。この重さを前川戯曲でしか感じない。ただ、空想物語をワクワクと見せるのではなく、その空想から私たちの現実に帰った時に哲学が残る。私たちは何者なのか?何をする者なのか?そこになんの意味があるのか?作品の中にはその答えはなく、カーテンコールが終わり、客電の付いた客席でぼーっと考える。

 

舞台初出演の奈緒さんがキラリと光った。

日テレドラマ「あなたの番です」で主人公夫妻の隣室でサイコパスなキャラクターを演じて話題になった女優さん。

奈緒さんが演じるのは主人公の元カノのあん役。現実の世界線では流産して主人公の元を離れるが、流産せずに主人公のそばを離れない世界線もある。そんな2人の関係が続いている世界線で、家族の前で主人公があんに抱きつくシーンがある。そのあと、気を使う家族の前で照れるように主人公の肩を叩く自然さが良かった。

ナイロンでもお馴染みの村岡希美さん。彼女が素晴らしい役者さんなのは言うまでもないが、今作の主人公の母親役も素晴らしかった。強さを決して感じさせないが、でも、強い母親でなければ言えないようなセリフがさらりとしててハッとさせられた。

 

帰りの電車でもその重たさを引きずる。行きに耳元で聞いた中身のないアラサー女子によるファミレス女子会も帰りにはイキウメの重さでどこかにやら。

私が生まれていない世界線、すでに死んでいる世界線もどこかにある。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。