本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。茅ヶ崎の海辺からコカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

AM1:00-3:00

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

川田拓矢氏の才能への讃美

 

どうもこんにちは。

 

才能を持って生まれてきたかった。心底思う。

自分の中に人にはない美しい感覚が宿っていて、それを端麗に表に表せて、人の心が未だに共鳴したことのない琴線を震わす。芸術の本質そのもの。

そして、何にも執着せず、ただ、心にあるものだけに忠実で、それだけに燃える。それは一個人を破棄して、才能の奴隷と化すことである。主人は世間からの隔離を命ずる。主人は孤独であることを強いる。主人はいわゆる幸福を打ち砕く。

才能に隷属したものは、ただただ才能のためだけに生きる。才能のためだけに生かされる。才能のためだけに生きることを義務付けられる。

 

社会はそうした才能を抹殺せんと隷属したものへの視線は冷たい。社会にとって、才能は恐ろしく、それを悟られまいと才能への隷属をいかに愚かで時代錯誤であるかを説く。才能に時間は関係ない。関係するのはその美しさと忠実さだけである。社会からの冷遇に耐えきれず、決別された才能がいくらあることだろう。

 

時に奴隷は才能のために社会と戦う。才能の本質を見誤る「作者目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざる憾みあった」という誤魔化しに、「小鳥を飼い、舞踏を見るのがそんなに立派な生活なのか。刺す。」と才能の本質をぶつける。大抵は負ける。

 

そんな時代に奴隷として堂々としている川田拓矢氏の作品は美しい思索が作品の一言一言に満ちていて、ほとばしっている。忠実に表れる才能を火照らす。

 

実は私はあなたの予備校での英語の授業を受講していた者だ。脱線する話にあなたの鋭い感覚とそれを丁寧になぞろうとする謙虚さに惚れ惚れしていた。特に、土曜日の午前中の授業は受験英語なんかほっぽり出して、あなたの話を聞きに行っていたようなものだった。

 

今更、あなたのことを書くのは、久しぶりにあなたの「光輝あまねき」を読み返して、あの頃のあなたの口調が鼓膜をかすめたことが懐かしく思ってしまったからだ。天才とは才能を持ち合わせている人間という短絡的なものではなく、それにひれ伏して謙虚に従う姿勢までもを含めた人間のことだと知ったのは先生のおかげだ。そして、先生はその体現者だ。この時代に愚かしいほどに才能のなされるがままにされる先生の作品はその姿が愚かであるほどに、美しい。

 

冒頭で「才能を持って生まれてきたかった」と言ったが、私にないのは才能ではなく、それに隷属する謙虚さだったのかもしれない。所詮、私も川端側の人間で、先生のようにに太宰の側には行けないのだ。

 

なんのことだかさっぱりな方ばかりでしょう。 

では、こりゃまた失礼いたしました。