厄介な重役気取り
どうもこんにちは。
平成が終わって令和になっても、生活は変わらない。陽射しが夏に近づくくらいか。 どだい、平成に生まれた私にとっては、平成で生きることが全てで、といっても大袈裟か。
久しぶりに日本史の資料集を引っ張り出して、元号一覧とかを眺めてみる。同じような漢字しか使われ
ていなかったり、面白い。やっぱりその時代を反映したものが付くんだろうか。
多くの人がツイッターやら番組の企画やらで新元号を予想していた。中には当てた人もいるらしく、大きな話題になっている。新元号を予想してみようなんて、思っていなかったから、ラジオやなんかで話題になっているのを聞いて、やってみれば良かったと思う。
新元号に関して盛り上がっていたのは、そんな予想屋だけでなく、報道各所も我先にといろんなことを言っていた。明治、大正、昭和、平成ときたので、頭文字をとったM、T、S、Hの頭文字から始まるものはないとか、過去の元号からすると「永」の字が1番使われてるとか。
そんな過熱した報道から起きる事件は昔もあったようで…。
大正が終わって、昭和になろうという時に今の毎日新聞が真っ先に「光文」と発表したものの、それが誤報だとわかったので、責任者が首クビを切られるということがあったらしい。それには裏があって、
枢密院、当時の政府の重要なことを決める機関、が情報の漏洩に怒って直前に「昭和」で発表したとか。ただ、「光文」は当時、元号作成担当機関ではなかった若槻礼次郎内閣が作成したもので、はなから候補ではなかったとか。
これでクビを切られたらたまったもんじゃないなと思う。ただ、皇室に関わることで、こんな失策したら、不敬罪とか言いかねられない。そんなことになったら、本当の首が落とされかねない。恐ろしい。
というのは、ちょっと前の下書きから。
実際に元号が変わったことに対して、「新しい元号だから心機一転」なんてことはとてもじゃないが書けない。しかし、「元号が変わっても何も変わらない」なんていうのも擦られすぎたスカし方で微妙だ。だからといって、全く触れないのは尖ってる気もする。扱いが難しいのが元号だ。
GWで浮かれた世間に一人、海を歩きながらこんな考えてるんだから、私も相当暇人だ。
観光地に暮らすのも考えものだな。いつもは静かな喫茶店に人がごった返している。こんなところじゃ本も読めないし、これも書けない。
では、こりゃまた失礼いたしました。