本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。茅ヶ崎の海辺からコカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

AM1:00-3:00

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

給料という体のガマン料、それから今期のドラマ「白衣の戦士」「わたし、定時で帰ります。」

 

どうもこんばんは。

 

今期のドラマを一通り観てみて、なんだか「働き方」を問う作品がやたらと目につく。日テレの「白衣の戦士」やTBSの「わたし、定時で帰ります。」など。

昔の仕事ドラマといえば、私生活を仕事で埋めて、身を粉にして働く姿を偶像崇拝するように描いたものが多かった。その副産物として、結婚できないキャリアウーマンなどが10年くらい前は大いに流行った。

 

時代がそうではなくなったのか、会社という組織が社会全体の中の柱としての求心力を失い、年功序列と終身雇用という安定と引き換えに自由に働く「フリーランス」が横行し、狭苦しい縦社会からの解放が始まる。それと同時に社会にはいわゆる「ゆとり世代」が野に放たれる。かくいうわたしもゆとり世代のど真ん中なわけだけど。

会社文化の衰退とゆとり世代と台頭が重なってしまったことが幸か不幸か、個人の中の「働く」ということの比重が変わってしまった。会社に求心力を見出す世代とそれ以降の世代の中で隔絶が大きくなった。

別にわたしはこれをどうこう言いたいわけではないし、その是非についても問うつもりはない。

 

ただ、そのタイミングで政府は「働き方改革」という政策を打ち出し、それに触発されたドラマ作品を創るということは、自ずと製作陣がその是非を問うているものだと思う。

そういう意味で、この2作品は今後どういう展開をさせていくのか楽しみだ。

巷では中城あやみの演技がどうたらこうたらと槍玉に挙げれらているが、本当にあげるべき玉を刺し違えた槍ではないだろうか。

 

そんな折り、わたしも自分が働くということについて考えてみた。

私にとって「働く」とはなにか。

 

子供の頃、米軍基地で通訳をしていた母親は事あるごとに私にこう言った。

給料はガマン料だ

仕事とは辛くて当たり前、嫌なもの。それを我慢してもらうのが給料なんだと。ま、その当時は、だからお前も嫌な家事を我慢して手伝って、そのガマン料のお小遣いを得るんだと、いう教えにつながるわけだけども。

 

子供ながらに腑に落ちなかった。納得できなかった。

では、今、わたしが抱いている将来の夢(当時は舞台演出家になりたかった)とはなんなのか。好きで好きで、憧れたものを仕事にしたいというのは幻ではないかと。

学校の先生は我慢して、わたし達の教壇に立っているのか?この店員さんは我慢してこのパンを売っているのか?憧れのこのダンサーは我慢して舞台で踊っているのか?この作曲家は我慢して私たちの演奏に点数を付けているのか?

ここまで考えると、中学生のわたしはこれを我慢してる人種と我慢していない人種に分かれることに気づいた。

そして、我慢しているにもふた通りあるのだと。

給料をもらうための我慢とやりたいことをやるための我慢と。

そして、わたしがするべき我慢はどっちだと。

 

なんだか青臭くて、世間知らずなお子ちゃまな綺麗事に聞こえているかもしれない。結婚して、家庭を持ったらそんなことは言ってられなくなるのかもしれない。

でも、わたしは給料を貰うために、毎日疲れ切って、休みは一日中寝ているだけだった母親のような我慢は出来ない。別に母親を蔑んだりはしていない。わたしに出来ないことが出来て、20歳まで食べせてもらい、大学、まあ中退したけど、も行かせてくれて本当に感謝している。でも、わたしにはその責任は負えない。そんなに縛れたくない。おもえば、今のわたしの年齢の時に母親には4歳の私と3歳の妹がいた。今の私には絶対に負えない責任だ。それを負ってくれたことに対してすごく感謝している。放り出してしまえばいいものをそうしなかった母親の偉大さは甚大だ。

でも、私には出来ない。こんなに言っていると情けなくもなってくる。

 

今の私に問い出してみる。

今は仕事が楽しくない。将来、音楽がやれるジャズバーのような、ジャズ喫茶のような店がやりたい。そのために飲食の経験は必要だろうとバイトとして入社し、なんだか社員登用してくれるというので、さほどの志もないが、料理人の修行を始めたのがちょうど一年前。

全然、楽しくない。我慢しかしていない。毎日憂鬱になりながら出勤してる。そりゃ、流れでこうなっただけだから。これじゃ、給料をもらうための我慢だ。

 

だから、決めた。

給料をもらうためのこの我慢は来年の3月いっぱいで辞める。

この一年で、次の行動に移る。もともと長居するつもりの業界じゃない。ずっとこの会社というつもりでもない。

だから、そのために出来ることを整理し、こなしていく。そのための時間としては1年は短いのかもしれない。だから、無駄な時間を作らずに生活する。

 

一年という期限が仕事に対する気も楽にしてくれる。ソリの合わない人だってあと一年だ。理不尽に押し付けられる仕事だってあと一年だ。そう思うと、気が軽くなる。何もあの人に働き方を合わせなくてもいい。

これは、仕事を適当にしてしまうこととは違う。仕事に対する責任を手放すための逃避ではない。これだけは戒めのように言い聞かせる。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。