芥川賞の受賞作 読了ノート
どうもこんにちは。
そういえば、ちょっと前に芥川賞作品を読み終えたところでした。
「第160回芥川賞受賞 ニムロッド」と「第160回芥川賞受賞 1R1分34秒」の2作。
読了後の私の手帳にはこうある。
限りなく高い塔に集められた駄目な飛行機。与えられた価値によって意味を有する架空のビットコインを掘る。登りつめた先には一つになった全知全能の新たな形の人類。果てない現代人の欲を克明によく描きだされているいる。
ところどころ、文章をぼんやりさせる表現が物語全体の輪郭を曖昧にさせるが、ブレないいい文章。
情熱に燃えてるようで、燃えていない文体。それが冷たく苦しむボクサーの様。型にはまったボクサー地獄だ。その型からの脱出を図ろうとする無理も見られる。
ヘーゲル(註 この記事のために調べ直したら、当時の私はヴィトゲンシュタインのことを言っているらしい)の「総体」のように、「いない私」とのパラレルな距離で現れる主人公。その橋渡しをするウメキチは何のメタファーか?
まあ、公表する予定のない私的なメモとはいえ、言いたい放題だ。今また、文藝春秋の3月号に掲載の選評を読み返して、私に無理があると思っていところや、違和感があったところが評価されていたりもするから、わたしには見る目がないのかもしれない。
しかし、どちらも面白くて夢中でページをめくっていた。展開が気になるのではない。登場人物たちがとても魅力で読み進める度、ページをめくるたびに彼らとの距離が縮まるような感じがするからだ。
上田岳弘さんに関しては、昔たまたま手に取った「私の恋人」という作品がとても面白かったのを思い出した。この夏に渡辺えりさんの手によって芝居になるらしい。あの時と作風が大きく違うものだから、驚いた。言われてみると、作者と登場人物の距離感に名残を感じる。
町屋作品はお初にお目にかかる。いい熱量で書かれた文章で好きだった。ボクシングのことは全然通じない私が、これだけ調べ上げられた文章に置いていかれなかった。面白い。
読書の最大の楽しみは読みかえせることだ。今はこんな乏しい感想でも、しばらくしてから読み返せば違うものが見えてくるかもしれない。その時に面白いものを見つけたら、またご報告差し上げます。
では、こりゃまた失礼いたしました。