「ちんちん」が言えない世界
どうもおはようございます。
なかなか、「おはようございます」で始まることは少なかったですね。
で、おはようござますなんて挨拶しておいてなんですが、昨晩1時から放送のTBSラジオ「爆笑問題カーボーイ」での太田さんの発言がひょんな本質を突いて、ちょっと考えてみた。
ちんちんが言えない世界に俺は住めないよ
昨晩は大きな声では言えない下ネタ回で、シンガーソングライターのIKURAちゃんをゲストに迎えてリスナーから下ネタの格言を募集するもの。こういう回だから、オープニングトークもそういうトークになる。
その中で、2年前に初めてIKURAちゃんが登場した頃よりも下ネタに対する世間の風当たりの強さを嘆いた発言。
これといった明確かつ本質的な意味もないのに、なぜか全体主義的な批判を始める世間。そのくせ、オリンピックみたいな聞こえのいい偽善めいたものにはすぐ飛びついて、持ち上げる。その空気感が私は大嫌い。そして、太田さんにもその節があるようで、とても共感出来る発言だった。
これで思い出したのは、ずいぶん昔の「世にも奇妙な物語」の一作。
禁煙の風潮が世の中に大きくはびこる日本。もう禁煙の本質的な意義を失い、世間の空気に流されて喫煙家を狩り出す国民。まさに意味もなく、ただただ嫌煙が正義の気持ち悪い国。いよいよ日本には愛煙家の流行作家がただ1人残るのみになった。そんな彼は日本中から追われる身となる。
というあらましのもの。タバコも吸えな世界に主人公は住めなかったわけだ。
下ネタがどうとかタバコがどうとかではない。世間の風向きの煽り方の気持ち悪さを言いたいのだ。世論なんて実態の見えない霧に隠れて、自分で思考することを放棄する人間。そういう人間がいかにも自分の考えのように他人の言葉を振りかざす。そんなことができる人間は、耳障りのいい、いかにも正義らしい虚無を広める拡声器と成り下がることになんの抵抗もない。そして、考えることを放棄した人間にこそ、それは惹句と聞こえ、新たな拡声器を造りだす。
少なくても私はそんなガラクタにはなりたくない。物事の本質を自分で考える。
そして、思索の結果が世の中に逆らっていても、自信を持って生きていきたい。
生きるって大変。
では、こりゃまた失礼いたしました。