文喫行ってみた
どうもこんばんは。
入場料1500円。正確には税込1620円。
私はこれだけ払ってどこに行ったと思われるだろうか。
映画館はこれくらいだ。何かの展覧会。そういえば、フェルメール展がそろそろ終わる頃だ。
正解は本屋。
本を買ったのではない。入店するのに1500円払ったのだ。1500円払って入店し、本を買うのだ。当然本を買うのにお金を払う。
六本木の駅を出て、大通りを警察署の方に歩くと、ガラス張りの入り口の頭上には大きく「文喫」の文字。それこそが「文化を喫茶する」本屋の名前だ。
書籍もCDもダウンロードが横行して、もう売れないのではと危惧されてる昨今、物資的に手にとって活字を追いたい私にしてみれば、新しいスタイルの本屋ができるということ自体がどんなスタイルであれ嬉しい。
書籍離れを食い止めるために広く相手にするのではなく、1500円払っても覗いてみたいという狭い本好きを相手にするスタイル。とてもそそられる。
モダンで無機質なロビーで入場料を払い、階段を登ると、目の前に3万冊という本たち。カテゴリーごとに本棚に並ぶ本や平積みで積まれる本。出版社や刊行シリーズ、作家ごとに並ぶわけではないので、大きさ、色、形はまちまちだ。何故だか上中下巻の中巻だけがあったりもする。
大切なのはここで欲しい本を買い求めることではない。知らない作家、作品に出会うことである。
いつもの駅ビルの本屋に並ぶ本もあれば、初めて聞くドイツの作家の作品もある。
気になるタイトル、帯、手当たり次第に手に取り、隣の喫茶室に持っていく。
カウンターで無料のアイスコーヒーを受け取り、ソファに腰掛けて、一冊づつ吟味する。いつもの本屋で見かけたあの本。ここであったも何かの運命、買ってしまおう。初めて目にするドイツの作家。短編を数ページ読んでみると面白い。これも買おう。
ソファの隣にもう一つテーブルを引っ張ってきて、買う本、買わない本を選別する。こんなところで出会えると思ってなかった気になっていた詩集も買ってしまおう。
そんなこんなでほんとんど購入。
まだ時間はある。コーヒーのおかわりをもらってもう一周。
今年は何でもいいから、難解な本の精読をしたい、と哲学書の棚を覗く。ニーチェ、パスカル、カント、デカルト、プラトン、ヴィトゲンシュタイン。倫理の授業で見かけた名前に、見かけたタイトル。知らない名前に、知らないタイトル。
それで、少しだけかじったことのある本を手に取る。最初の1行目から頭が混乱する。読み応えがありそうだ。上下巻を手に取る。
そんなことをして、何時間でも居られる空間。
結局この日は8冊、計14000円分のお買い上げ。こんなに買うはずじゃなかったのに。
帰りの電車でアイスコーヒーをもう一杯お代わりしておけば、コーヒー一杯500円で普通の喫茶店に行ったのと同じくらいで、入場料の元が取れたのでは?なんて野暮なことを思う。
とにかく帰宅ラッシュの小田急線でこの量の本は重たい。
周りも本好きだと思えば、何故か居心地がいいし、手にとったものの買わずに棚に戻された本も丁寧に扱われている。
書籍離れで大きな本屋も無くなっていく。なんせここ文喫も青山ブックセンターの跡地にある。なくなるとは思わなかった本屋の一例だ。全国に万人に受ける本屋なくてもいい。それじゃ出版業界の裾野広がらないかもしれないが、それ以上に電車を乗り継いで、1時間のところにディープで本にまみれて、何よりも本が好きだということを感じられる空間があって欲しい。
本好きな方はもちろん絶対に行ったほうがいい。
でも、それ以上に普段読まない人にはステキな本との出会いが待っている。平らで無機質な画面をなぞって買う本でなく、質感を感じながら手に取る本との出会いは嬉しい。充足感に満ち溢れる。
では、こりゃまた失礼いたしました。