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感想と批評についての試論、作家の閾下の発見にまで深化する考察

 

どうもこんばんは。

 

晦日に下北沢で観た根本宗子さんの芝居『愛犬ポリーの死、その家族の話』について記事を書いてるうちに、ふと思ったことがあってまとまりそうなので先にこちらをまとめてみることにします。

 

話は「感想」と「批評」についてです。

 

感想は改めて何かを言う必要もないと思います。本を読んだ後にどう感じたか。そう、誰もが一度は書いた読書感想文です。つまり「楽しかった」「つまらなかった」でいいわけです。もう少し成長すると「こうだから楽しかった」「ああだから楽しかった」となりますが、骨組みは基本的にこれです。作品の本質的な良し悪しに触れる必要はありません。あくまで思ったことを言えばいいのです。

これに対して、批評は良し悪しを語るところをスタート地点としています。

読んだ作品が面白いのかつまらないのか、ではなく、本ならば文学的に、芝居ならば演劇的に優れているかどうかを語るものです。これには当然、作品だけでなく周辺の知識、例えば作家本人について、モチーフについてなどを必要とする深い考察が必要になります。つまり、論理的にこうでああでいいだの悪いだの言う必要があります。

 

で、私が思ったことは「批評って本当にいるのかな?」ということです。

作った当人が感想以上に良し悪しを語られる批評を求めいるのだろうか。良し悪しを語り、制作側を一喜一憂させることに意味があるのだろうか。

批評の本質ってなんだろう。ということを考えてみたわけです。

 

私はもとより批評家希望ではないので、人様の作品を偉そうに言うことは申し訳なくて出来ないのですが、それでも、「ここがあーだったのは素晴らしいな」「これは私だったらこうするな」という感想の域を出たものを心に持ちます。それが好みかどうか。制作側の意図によってそうなったのか。理屈で考えるところから批評は始まるわけです。

つまり、多くの感想は批評のタネになっているわけです。

そして作品から考察していきます。その過程で制作側が狙ったことを汲み取ると、制作側は作品の裏側が伝わっていることに満足するわけです。

私も何かを書いたりするときにチラッとだけオマージュやパロディを入れたりなんかすることがあります。そうすると、中には「これってもしかしてあれですか?」と気付いてくれる方がいます。その気付きが仕組んだ側としては嬉しいわけです。

その気付きがもっと深化すると批評家は制作側の当人にも見えていない閾下の発見をするわけです。

これこそが批評において最も大切なのではないかと。製作者も意識していなかったことを発見することはその製作者の今後の作品に影響を及ぼします。ひいてはその世界、作家なら文学界、劇作家なら演劇界、音楽家なら音楽界の発展に寄与します。だからこそ、批評の必要性があるのではないかと。

 

ただ、難しいのは作家の閾下の発見とオタク的な深読みのちがいです。この違いは大きくはミクロとマクロの違いです。

この違いは今日は置いておきましょう。

 

結局、批評はあってもいいものじゃないか。と結論づけたわけです。

すると、またちょっと思うことがありました。

 

SNS時代、素人がいくらでも批評家を気取って文章を放つことができる時代です。

それに関して、批判的なプロの人もいます。

当然です。その世界に創るプロがいて、それを考察し批評するプロがいます。そのどちらにも属さない素人がいます。その素人がプロの批評家を気取ってものを言えば、どちらのプロも面白くないのは当然です。

その是非はどうでしょう。

 

素人が批評をしてはいけないとは思いません。プロの批評家だって初めは素人だったはずですから。

では、素人とプロの批評の線引きはどこにあるでしょう。

その線引きは批評の本質に求めていいではないではないかと思います。

つまり、「作家の閾下の発見」です。

 

自身も気づいてないことに言及されるから、たとえ批判的なことでも作家もその批評を受け入れられるわけです。作家自身も分かりきってる批判的な発見を素人に言及されても、そんなものを受け入れらる訳がないのは分かりきったことです。そりゃ、反感も買うわけです。

作家の閾下に言及しているかどうかによって、説得力が大きく違ってくるわけです。

作家当人もわかっていることを言ったところで、その作家のその後の作品やその世界の発展に寄与することありません。

SNS上における批評において反感を買うかどうかの違いはここによると思います。

逆に言えば、雑誌に寄稿するまでになった素人ブロガーさんはそこまで言及出来ているということではないでしょうか?

 

ここまで書いて納得した私はとても批評なんてする気になんかなれません。

ですから、感想と批評の間の「ノート」という言葉を使って、観たもの読んだもの行ったところについて、好き放題言うことにします。お暇な方はどうぞ、今後もお付き合いください。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。