年頭言〜2019年〜
明けましておめでとうございます。
まあ、まだ三が日中ですから、新年の挨拶はオッケーですね。といっても、正確には日付回ってるんで、4日ですが。
昨年中はこんな駄文にお付き合いいただきありがとうございました。
ごっちゃごちゃの自分の頭の中を言語化することで整理し、自分に言い聞かせることが目的であったり、書きたいことがなくても何かを書き出すための持久力のようなものをつけるトレーニングだったり、話を膨らませるネタを日々の生活の中から見つけ出す好奇心のアンテナを張り続けることが目的だったりしたわけです。
今年もそういった意味合いを踏まえつつ、書いていきたいと思います。もっといろんな世界を見聞きし、動いて、創っていきたいと思います。
そう、特に動くこと。
最近の私は全然動かないで、なんだかつまらない。
面白くない。
今年は思い立ったら動きます。
思いったら吉日。というよりも、思い立つこと、そのものが吉なんだと。
買い物出る前になんかダラダラする30分。目覚まし止めてから布団を出るまでの30分。こんなぐっずりな時間を減らして、すぐ動き出せばもっと時間が有効に、かつ活動量が増やせます。
そして、もっと思考します。考えます。
かねてより、ものを知っているという知識量よりも、思考して新しい見地を作ることの方が最も人間らしい活動だと思っています。
その活動をもっと積極的にしていきたい。
そのために勉強をしよう。まずは、語学。
海外の言葉を知ることは日本語の理解領域を拡大していく行為です。日本語の中の知っているようで知らない領域に海外の言語は照らし出します。その時、私は自分の中の新しい日本語の領域に踏み込みます。
自分の中の言語の領域が拡大するということは、思考の領域が広がることを指しています。言語を介して脳内で思考するわけですから、言語の拡大と思考の拡大は比例しています。
そして、その拡大した思考をもって、歴史、つまり古典を勉強したい。
高校の世界史の復習と宗教の勉強、そして世界の古典と呼ばれているものを読む。
もちろん、去年からの音楽の勉強はひき続きやっていきたい。
やっぱり今年も時間が少ない。
無駄な時間を過ごしている暇はない。
ずっと、中学生くらいの時から、なんかを創ったり演ったりクリエティブな仕事がしたいと思っていました。でも、やろうとするも半端なことがずっと続いて、今日の今日までやりきれずにここまできました。
25歳になる今年。今年、何かやりきれなければ、もう生涯やりきれない。そういうつもりです。
そんな2019年です。今年もよろしくお願いします。
では、こりゃまた失礼いたしました。