本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。茅ヶ崎の海辺からコカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

AM1:00-3:00

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

『誰もいない国』@新国立劇場小劇場

 

どうもこんばんは。

 

ちょうど今さっき初台の新国立劇場から帰ってきたところです。

新国立劇場で「誰もいない国」(作/ハロルド・ピンター  演出/寺十吾)18:30の回を観劇してきました。

 

柄本明さん、石倉三郎さんという大ベテランによる、不可思議な関係から生まれる不可思議なやりとりに、有薗芳記さんと平埜生成さんが加わり、不可解さの増す不思議な舞台でした。

 

私の勉強不足でノーベル賞受賞作家のピンターの戯曲は一度も読んだことがなく、とにかく、ついていくと言うか、俳優陣の口から放たれる一言一言を受け入れるので精一杯な2時間でした。ただ、とにかく、「間」というものがとにかく大切に演出されていることはわかりました。

帰りにイノシシを轢いて遅れた小田急線でパンフレットを読むと、ピンターを研究している小田島創士さんと今作の訳者である喜志哲雄さんの対談の中で「ト書きの間と沈黙を分けている」と言う発言から合点。セリフ量の割に長い公演時間、一人の長いセリフとしばらくの沈黙を繰り返すような応酬、された質問に長い間をおいての回答、まあ役者陣のセリフとセリフの「間」が気になる演出でした。

 

もう一つ気なるのは「水」による演出です。

舞台後方は真ん中にベットが置かれ、一段低くなったそのベット周りは水が張ってあります。そして、事あるごとに上から滴る水。そこには水としての視覚的効果よりも聴覚的な効果の方が観客に迫ってくような気がします。

 

柄本さん演じるハーストと石倉さん演じるスプーナーの関係の変化というよりも揺れ動きが難しい作品でした。ハーストから見たスプーナーは冒頭はパブで初めて知り合った詩人、それが一晩経つと、いきなりうちにいる見た事ない男、そして、過去を回想すると、過去に不貞を働いた女性の夫とその都度、誰と話しているのか見失います。

そこが本当にわからない。私たちが会話のやりとりのどこからその糸口を見つけたらいいのか見当がつかない。

ただ、ハーストの中にはその都度確固たるスプーナー像があり、夢か現か若き日のことが嬉々として語られていきます。私たちは変に探ることなしにフォスターやブリグズと同様その語りに耳を傾ける。

そのじかんの不思議と心地いいこと。理解できないことにワクワクしていること。

 

演出の寺十さんと芸術監督の小川さんがパンフレットの対談で「わからないことが面白かったりもする」と話している。

自分に理解できないことを変に頭で考えようとするのでなく、わからない浮遊感に漂う。それはそれは非日常的な体験で面白い。

 

新国立劇場で11月25日まで。

興味のあるかたは是非。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。