アジャラカモクレン、ムダナモノ、テケレッツノパ
どうもこんばんは。
危うく、10月一つしか書かないで終わるところだった。
誰に頼まれるでも、書いてどうなるでもないのに、書いておこうと思う何かがあるんですね。
さて、それで最近私が何を思っているのか。
くだらないことばかりで、しょうもない。
それをここに書いておくことにもなんも意味がない。
でも、やりたい事、なっていたかった自分とのギャップを埋めるのに何かやらないと行けない気がして、その一つとして、ここに何かを残しておこう。
なんかここのところ、気力のない何かをすり減らす生活がダラダラ続く。
私の持論だけど、人生はすり減らすだけの時間だと思ってる。
時間だって、寿命だって、気力だって、体力だって、金銭だって、あるのか知らんけど運だって。
目に見えるようなものから、見えないもの、あるのかどうかわからないものまで、全てを持って産まれて、死ぬまでそれをすり減らしながら生きていく。
それは『死神』って落語に出てくる寿命のろうそくみたいもの。
そんなでは面白くないので、どこかですり減らしたものを回復したくなる。
そのために、何か趣味だったり、とにかく無駄なものを見つけてみる。
何か無駄だけど、夢中になるものを見つけると、すり減らすだけの生活の中で何かを回復をすることが出来る。一番回復を実感するのは気力だったりする。
それはマリオのコインみたいなもので、取らなくたってゴールするし、ピーチ姫を救うことが出来る。
でも、クリボーを倒すためにジャンプしたついでに、コインを取っておくと何かの時に役立ったりする。役立たなくてもいいんだけど、役立つ。役立たなくてもいい分、役立つことが嬉しい。
生きることに必要なもの以外は全部こんなもんだ。
それがすり減らす人生の中で、ちょっとした回復になる。
そんなものが必要だ。
あってもなくてもいいものが一番必要なもんだと思う。
というわけで、ここに書いて回復するわけではないんだけど、回復の糸口になる。コインにならなくても、コインの製造過程に入ることにはなる。
さて、今日もそんな無駄ものに囲まれる。