『またここか』@ DDD AOYAMA CROSS THEATER
どうもこんばんは。
『またここか』(脚本 坂元裕二/演出 豊原功補)10月2日19時からの回を観劇してきました。
坂元裕二さんといえば直近だと「 anone」に始まり「カルテット」「問題のあるレストラン」「Mother」「woman」「最高の離婚」「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」「東京ラブストーリー」と挙げればキリが無く、書けばどれも話題作って脚本家さんですが、いつも登場人物たちがどこか現実の私達と同じ世界に生きてるんじゃないかと戸惑いすら覚えてしまう現実味の帯びた残像と会話の節々でみられる空(くう)を交差するつい笑ってしまうやりとりがなんとも言えない魅力な作品たち。
観たことないものがある方は是非、一回ご覧になることをお勧めします。
中には拙い考察を書いたものもありますので、よろしければご一読を。
さて、今回の『またここか』ですね。
東京だということを忘れてしまうほどのどかな所に位置するガソリンスタンドに集う4人。店長とバイト。兄を名乗る作家と不機嫌な看護婦。不明瞭で不均衡な4人の関係と人間性。彼らのやり取りに笑いながら、互いに感じるちょっとしたズレを認識し、それは物語の奥行きが広がるにつれて笑えなものだと気付かされていく。そして、その奥行きは思っていないほどに暗く深いところまで広がっていた。
イヨネスコに似た「不条理」「ズレ」と坂元裕二が放つ私たちの足元に落ちていそうなごく自然な会話。どちらかが強くても弱くても成立しないバランス。この難しいバランスが心地よく、時にわだかまりを与える。その均衡を保っているのが抜群の演出。掴めるようで掴めない感情を台詞に吹き込む役者陣。初舞台の役者さんもいたようで、時々、不安なところもありましたが、4人の座組がしっかり芝居として成立させていました。特にバイトの宝居役の小園茉奈さんの力の抜き様が素晴らしかった。昨年のナイロン100℃の公演『ちょと、まってください』でマギーさんとメイド役を好演した彼女ですが、今回の自由で奔放な読モ役も非常に良かったです。
坂元裕二作品について思う時、いつも不思議なのが、台詞が具体的であればあるほど、その具体性が捨象されて、共感が強くなることです。
結婚とかないよ。そういうのはもう、もうないかなぁって思った時があったんだよ。こういうのは今日だけのことだよ。まぁ、私もずるいし、別府くんもずるい。でも、寒い朝ベランダでサッポロ一番食べたら、美味しかった。それがあたしと君のクライマックスでいいんじゃない?
これは『カルテット』の2話からのセリフの引用です。
早朝に肌寒いベランダでサッポロ一番を一夜だけ関係を持った人と食べたことなんかないんです。でも、この台詞を聞いて、たしかに経験したことのない状況なのに、何故か自分がそこにいる。そして、一緒にサッポロ一番を食べている誰かが思い浮かぶんです。その時、別府の体験はドラマの中を超えて、もう私のものとして私の中で受け入れられている。
こんな台詞が坂元裕二作品では頻繁にみられます。
そして、こうした台詞が登場人物たちに私達と同じ世界で生きていると錯覚するほどの活き活きさを与えているんです。
2時間の芝居の中で、4人のリアリティ溢れる体験を台詞と共に追体験することでクロスオーバーしながら、登場人物たちでなく、「私」がそこにいる物語として違うものが映し出されます。
時々思うことがあります。
私が「赤」と認識している色をみんなも「赤」と認識しているのだろうか。実は、みんなが言う「赤」は私が言う「青」なのではないかと。
同じことを観ながら思いました。
舞台にいるのが、隣の観客も見ている「役者」でなく、「私」になった時、同じ芝居を観た人がいると言えるのだろうか。私が観た芝居と隣の人が見た芝居は違うものになるのではないかと。
何かのインタビューで坂元さんは「こんなこと思ってるのは自分だけじゃないだろうか、と言う人にほど届けたい」と言う趣旨のことを言っていた。物語の外でも生きているような登場人物と、彼らの台詞を受け入れる私たちとの中で、それが可能となっている気がします。
今月8日まで公演は続くようなので、興味を持たれた方は是非、観てみてください。
観劇が難しい方は戯曲本も販売があるそうなので、こちらも合わせてお勧めします。
では、こりゃまた失礼いたしました。