なんてたってジョニー

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ナイロン100℃session45「百年の秘密」

 

どうもこんにちは。

 

昨日、下北沢は本多劇場にてケラリーノサンドロヴィッチさん主宰の劇団ナイロン100℃の本公演「百年の秘密」を観てきました。

 

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私が大学にいた頃、演劇学を専攻するなら卒論ではケラさんかクドカンを書きたいと思っていたくらい好きな劇作家。セリフの端々に冴え渡るナンセンスな鋭感、それらが観客と演者との間に作るくすぐったいような癖になる笑い、そして、作品ごとに全く違う景色を見せる作風の振り幅。
ケラさんの魅力をこんなに簡単な言葉でまとめるなんて恐れ多いというか申し訳なさしかない。

しかし、言葉にしなければ、ここに書き残すことも出来ないのだから、仕方なく言葉でまとめるしかない。

 

私が過去に一番くすぐられたケラさんのセリフは

嫌な予感がしそうな気がする

ケラリーノサンドロヴィッチ脚本  ドラマ「怪奇恋愛作戦11話」より

 

ってセリフ。分かるかな?この感覚。私はこの感覚が大好きなんです。ナンセンスってこういうことか!とベケット別役実もイヨネスコもただの知識でしかなかった「不条理・ナンセンス」が私の中で感覚に変わった瞬間でした。

 

そんなナンセンスを中心に、最近だと古田新太さんとの「ヒトラー、最後の20000年〜ほとんど、何もない〜」の荒唐無稽なナンセンス芝居に、東京オリンピックの前年の日本を背景に書いたラブロマンスチックな群像劇「陥没」、ザ・別役実ワールドをオマージュしナイロン仕様に仕立てあげた不条理劇「ちょっと、まってください」と各芝居の世界観は多様なもの

 

そんなケラさん作の今回の「百年の秘密」はティルダとコナという2人の女性の12歳から最後までを描いた人生劇です。

これは再演ですが、ナイロンの芝居の中でも非常に振り幅の大きな作品。どっちに振り切っているかといえば、ナンセンスとは対極な方。もちろん所々にケラさんらしいナンセンスなセリフはありますが、物語全体は一本筋が通って、あまり良くない言い方ですが、分かり易い芝居です。

そういう点で、ナイロンらしくないなと思いますが、一方でケラさんのああいう芝居はナイロンの役者さんでしか出来ないだろうなとも思うわけです。「ナイロンでしか出来ない最もナイロンらしくない

芝居」という逆説を感じます。

 

あまりあらすじとかをここでいうと観るのを楽しみにしている方に申し訳ないので、極力控えますが、この物語の大きな特徴は、構成です。

2人のヒロインの関係を時系列を追って書くのではなく、断片的に、物理的な時間軸をあえて行き来させながら書き出します。

その往来の橋渡し役がメイド役のメアリーです。彼女の語りによって物語の時間軸を見失うことなく私たちは行き来します。

 

この時間軸の往来がもたらす大きな特徴は(ケラさんがそれを狙ったか分かりませんが)私たちが想像する人物像の多面性です。それによって短い時間で私たちはより強く彼らを周りの知人や思い当たる節に投影し、世界観に入り込みます。

 

劇中の人物のその人物像を慮る時、当然、私たちは彼らの言動、動きをもとに考えます。

その時、時間軸がひと繋ぎだと、私たちが登場人物たちの人間性を決定づける要素は冒頭で決めてつけてしまうことが多いと思います。しかし、それは彼らが私たちに見せるパーソナリティの一面でしか無いのです。それなのに、その後に出てくるパーソナリティなセリフは冒頭で勝手に受けたパーソナリティの一部に勝手に組み込んで私たちは解釈します。しかし、現実を生きる生身の人間が一己のパーソナリティ、人間性だけで構成されているわけはありません。舞台上の彼らも同じです。次のシーンで思う人物像は同じ人物でも前のシーンの人物像とは異なる面だったりするのです。しかし、私たちは前のシーン人物像の中に次のシーンの人物像を押し込みます。

しかし、断片的に時間軸が途切れる、いきなり24年後に行ってみたり、ことでその年齢、その時代で同じ人物でも違ったパーソナリティを私たちは受けます。

例えば、15歳のポニーが父親のカレルにお小遣いをせびるシーンの3から4に指を変える時の茶目っ気と晩年のポニーが落ち込んだフリッツにいう「一つ言ってもいい?何よ今更」というセリフの茶目っ気。同じ人物の茶目っ気でも、時間の流れ、人間性の変化などを感じます。ひと繋ぎの時系列では晩年の茶目っ気を15歳の茶目っ気の延長線で見てしまい、そんな私たちでは区別のつかない茶目っ気の違いがあります。これは断片的な時系列ゆえに私たちが思うポニーの人物像がより深い理解、理解は生意気ですから想像にしましょう、がなされたと言えると思います。

 

長いこと書きましたが、断片的な時間軸に対して私が思う効果です。

で、それがなんだというと、つまり、同じ人物でも前のシーンで私が思った人物像に引っ張られずに、次のシーン、つまり次の時系列で同じ人物に新たな人物像を垣間見ることができるのは、何よりも役者さんの本に対する理解が大きいと思います。ケラさんと25周年を迎えたナイロンの皆さんとの関係性、信頼感の強さを感じます。

それ故に、「ナイロンでしか出来ない最もナイロンらしくない芝居」な訳です。

 

それ以外にももっと、翻訳劇風なことや室内と室外の重なりとか、実際に劇場で見ると不思議なこと、気付くことがあるんですが、あまり長いと読んでくださる方も疲れますもんね。

 

と言いつつ、最後にちょっとだけ。

ケラさんの舞台はオープニングのワクワク感が堪りません。まるでディズニーランドの「スターツアーズ」に並んでいるかのようなこれから目の前で繰り広げられる世界に胸が高鳴ります。音楽とプロジェクションマッピングが舞台上で合わさり見せる世界は私たちをどうしようもなく楽しくしてくれます。

ケラ作品のオープニングだけ集めたDVDとか欲しいな。

 

と、ちょっとのつもりで長々とすいません。まるでポテチのように止まらないね。止めないと。

次の公演「睾丸」も楽しみだ。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。