なんてたってジョニー

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手に

直感、信頼、頭がいい、白黒はっきり

 

どうもこんにちは。

 

なんだこのタイトルは。

単語を羅列させただけのタイトルは。なんか捻るのが億劫だったんだね。

普段は書くことを決めずになんとなく文章を書いてから、その後タイトルをつけるんだけども、今日はあらかじめ書くことを決めてるから、こんなタイトルになっちゃった。

 

ふと、最近頭のいい人と話をしていないなと思う。

こう言うと周りの人間を見下しているように取れてしまうかもしれないけど、当然そんな喧嘩を売るようなことを言いたいわけじゃない。

私が思う「頭がいい」というのは偏差値だとか、知識量だとかそんなことじゃない。

 

まずは直感でものを判断する人。そして、その直感が出した判断までの筋道だった思考をする人。それを言語化できる人

というのが私が一緒に話をしていて頭がいいなと思う人。

 

思考した結果で物事を判断する人が頭がいいと世間的に言われるけれども、私は真逆の人のことをそう思う。

世間的な「思考→判断」型人間の方がたしかに正攻法だね。思考による根拠のあとに判断した結果が来るから、説得力もあるし。まあ、共感があるかどうかは別にして。

一方、私が頭がいいと考える「直感→思考」型人間はその人の実体験や原風景に依拠しているから、思考的な根拠はこれからなのになぜか自信を有している。 ここが不思議だ。そして、その自信にそそられている。

 

ただ、古今東西の哲学者は後者、つまり私が支持する「直感→思考」型人間が多いのではないかと思う。会ったことないけど。彼らと私の唯一の接点は彼らの著作に触れることだ。そして、読みながら彼らの思考の軌跡を一緒に辿っていくことだ。その著作がどういった経緯で書かれているのかってことよ。

もし、哲学者たちが前者ならば、筆を取る前に思考が完成し、判断がされている状態になる。こうなれば、彼らの著作は思考の紀行文でしかない。ただの振り返りだ。読み手は安心したガイドに任せられるが、一緒に獣道に迷い込んだり、近道を見つけたりという刺激はない。

後者であれば、筆を取るときには結果は出ている。行きたいところは分かっている。しかし、そこにどうやって向かうのか、これから考えなくてはならない。読み手の私達は哲学者さえも初見の道に誘われるんだ。これは不思議な体験だと思う。はとバスでこんなことをされたら堪らない。

 

前者と後者、本を読んだときに感じる刺激はどちらに由来するのか。

当然後者だ。だからこそ、難しいんだ。

だって、道筋まで分かってたら、簡単に噛み砕いて道しるべを記してくれるもの。彼らさえも迷うから途中で私たちがついていけなくなる。だから、私が直感的に哲学者は「直感→思考」型人間だと言うわけよ。こういったタイプの人間は頭のいい人なんだろうと。

 

で、私が会話をしていない頭のいい人の話にもどるよ。

「直感→思考」型人間との会話で面白い思うのは、本人も言いたいことが分かっていないところを一緒に探していくことだ。私が彼らの発言に「?」と示すと一生懸命換言して理解を促してくれる。しかし、換言した本人が今自分が放った言葉に「?」を示す。おそらく言ってはみたものの自分でも違うと感じた。この違和感は言葉にしないと本人も分からないことがある。そのときに探し出した言葉だからね。

これを一緒に探していく探索がたまらなく面白い。時々私には、ゴールが飛びすぎてて、付いて行っても平気か?、とも思うけど、本人はどことなく湧く自信を持っているからいいんだね。そして、付いて行って間違いだったことは、どんなに遠回りをしたことはあっても、ない。

 

彼らの直感はどこで養われたのか。

私は彼らの行動力と思考量が共通してないかと思っている。

 

頭のいい人はいろんなものを見聞きしている。結果、知識量がある。だから、世間的な頭のいいの定義ももあながち間違いではないのかも。ただ、知識量が多いから頭がいいはここでは成り立たない。頭がいいから知識量が多いしか成り立たないよ。

それから、くだらないこともとことん考えている。いろんな方向に根を伸ばして探っている。話をしていて、持ってくる具体例や根拠の飛び方がすごい。そんなところから持ってくるのか、と驚いて納得させられる。

 

こう言う人が大抵話していて、頭がいいな、面白いなと思う。

 

さて、こういう頭のいい人と会話したいな。

何についてでもいい。

例えば大仰に、これからどう生きるか、資本主義の終焉でもいいし、サザエさんちびまる子ちゃんどっちが好きか、なんかでもいい。

 

ちなみに私は思考的な刺激が欲しくなると頭のいい人と頭のいい人が頭のいい人について対談している本を読み返してみたりする。

 

「知の技法」入門

 

これは一周読んだだけじゃ分からないけれど、三周目くらいに、対談している彼らも分かっていないことを分かり合おうとしているんだということに気付く。四周目にお互いが分り合いつつあるのが分かる。五周目に何が分かったのか分かる。といった具合。

読後にはすっごい気持ちいい快感があったな。

 

とにかく、私は頭のいい人からの刺激に飢えてるんだ。

その頭のいい人はこういう人だよ。ってことです。

 

わたし自身も書きながら、頭のいいってのはこういうことってのは分かってるんだけど、どうしてそうなのか、本当なのか、ってことを思考したんでいってみれば、後者的な書き方のブログですね。

 

おや、てことはわたしも頭がいいのかい?(笑)

というわけで、この定義はわたしも頭がいいと開き直るか、誤りを認めるかのどちらじゃないとパラドキシカルな感じだね。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。