本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。 コカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

AM1:00-3:00

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

で、「監獄のお姫さま」をもう一度

 

どうもこんにちは。

 

前にもお話ししましたTBSのドラマ「監獄のお姫さま」があと2話で終わるというところに来て、ここまで観てきてクドカンファンとしては本当に冥利に尽きる作品だなぁ、とつくづく思うわけですよ。

sascoca.hatenablog.com

 昨日の放送だって、キョンキョン松田聖子を歌ってるってちょっと80年代アイドルファンとしての感動もあるし、のぶりんが忍ちゃんをのぶりんって呼んでるし、あー赤いセーターの女じゃん、え?イボリーじゃん、獄中で馬場かよたちが観ているテレビから今にも「具がおーい!」って聞こえてきそうだよ。

わかりますか?え?わかりません?もー、じゃあ…

 

わかる人だけわかればいいです

 

というこの発言がこのドラマをもっとも面白くし、もっとも視聴率から遠ざけているんじゃないかと思うんです。

クドカンの笑いってこういう感じがあると思うんですよ。

それはおそらく舞台の影響ではないかと。これを少し考えてみました。

 

舞台の空気感って客席と同化した空間だけに、見てる我々に役者さんの息遣いが伝わるのはもちろん、役者さんにも我々の脈が伝わってるんです。だから、その場でしか生まれないものを共有しあえる。最近は舞台も衛星放送なんかでやってますが、全く異種の共感があるんです。

「今、同じ空間で同じ空気感を共有しているみなさんはわかりますよね、これ」っていうアドリブとか間が生まれる。

これが舞台版「わかる人だけわかればいい」の原理です。

誤解しないでください。決して分からない人を見下したよな感覚では無いのです。

同じ空気を共有してないなら、わからなくて当然の感覚なのです。

 

クドカンが舞台をやる中で染み付いた「わかる人だけわかればいい」がテレビドラマでも自然と出ている。

思えば、私も大騒ぎしてブログにしましたが、第1話を見て多くのクドカンファンは「マンハッタンラブストーリー」思い起こし、共通点を指摘しました。

2話以降、まるでクドカンがそれの寄せてきたかのように次々にキャスティングや役名を「マンハッタンラブストーリー」と重ねた脚本を上げていきます。

この時、ネットやツイッターの中で、私たちはクドカンと(彼がネットの反応を見ているかどうか分かりませんが、少なくても評判を制作側から聞かされた時に「マンハッタンラブストーリー」との類似の指摘は耳に入っているでしょう)「マンハッタンラブストーリー」を知っているもの同士の同じ空気感を共有しているのではないか、と。

 これが舞台特有の空気感の共有と同じ原理なのではないかと。

 

こうして、舞台版「わかる人だけわかればいい」がテレビドラマの中で成立しているわけです。

共有出来ている人はとんでもなく楽しいのですが、共有出来ていないとさっぱりなわけです。

 

まあ、だからなんだと言われちゃえばそれまでなんですけどね。

 

テレビドラマが世相を反映するシーンはいくらもあります(今期も「このハゲー」とか「忖度」とかよく耳にしましたね)が、テレビドラマが過去の(そんなに視聴率n恵まれなかった)作品をこんなにフーチャーするなんてのはなかなかないんじゃないかな。そこも面白い。

 

舞台の楽しみ方をこんなにすんなりとテレビドラマに取り入れたクドカンのユーモアさが際立ちますね。テレビが一方通行から双方向に変わりつつあると言われる昨今、その双方向の在り方すらを変えているような気がします。

 

まあ、こんなことを考えずにあと2話どうなるのか、楽しみましょう。

距離が一段と近くなった馬場かよと先生。これからどうやって先生が復讐に参加するようになるのか、 姫の無実は晴らされるのか。たのしみだなぁー。

 

あと、出てきてないのは、エモやん、ベッシー、船越、土井垣さん、マスターかな。

わかる人だけわかればいいです。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。