『1990年、何もないと思っていた私にハガキがあった』
どうもこんにちは。
今日は読後ノートです。
あ、読後ノートとは私の造語で、感想と批評の中間のものを言います。
感想っていうと、いかにも読書感想文って感じがして、考察とかちょっとした反駁とかが言えない。かと言って、私みたいなズブの素人が偉そうに批評なんか出来ない。
ちょっとでしゃばったことも言えるけど、他所からの冷ややかな視線は交わせるというなんともありがたい言い草だね。
というわけで、今後も鑑賞ノートとか〇〇ノートって言い草が出てきますんで、ひとつお含みおきを。
というわけで、今日は
せきしろ著 『1990年、何もないと思っていた私にハガキがあった』 双葉社 2017年
です。
今年の7月2日に出版されたばかりの鮮度抜群の新刊。
これを読んでくださってる方がラジオ、ことに深夜ラジオにどのようなイメージをお持ちなのだろうか。私は深夜ラジオの存在の認知と聴き始めたのが、同時なので、深夜ラジオのイメージを持つ間もなかった。
アルコ&ピースさんが自分たちの番組のリスナーのことを「ファッキンニート」と呼んでいるのを聞いて驚いた。そのほかの番組もリスナーにイメージ付けられているものは「童貞」「ニート」「フリーター」「オタク」「ぼっち」「非モテ」的なものばかり。なんというか、まぁ、社会にドロップアウトしたようなレッテルばかり。
もちろん、実際にはそんなことはない。私の知り合いで深夜ラジオ好きな人もそんなことはない。
何故だかは未だにイマイチ分かってない。何でだろう。
お笑いを口実に北海道から上京してくるも、鮮やかな発色のいい青春とは正反対にあって、先の見えないやるせなさ。でも、何か形のない、というか、ならない、いや、形にしてすらいないほのかな希望を言い訳に、やるせなさに背を向けて誤魔化している主人公。学校、会社、社会の中の何かコミュニティーに参加していれば、社会との接線の灯りが強くて希望のほのかさを嫌という程分からせてくれるものを、主人公はどこにも所属していないから、先が暗すぎて、希望がずっとずっとほのかなのにずっとずっとまばゆく見えてしまう。
どこか尖ってみること、ちょっと反骨心を抱くこと、そんなところで今の自分の状況を肯定しきれている気になっている。こんな時期は誰にもあるのだろうか。
そんな時期にずっと聴き続けている深夜ラジオに投稿して、採用され、常連(毎週のようにネタが採用されるリスナー)になり、と番組内で知名度を上がり、わずかだった希望はいよいよその灯りを強くする。そんな中、公開収録をきっかけに1人のリスナーと知り合いになり仲を深める。しかし、番組が企画する放送作家の卵を発掘するコンテストをきっかけに2人の仲は違った方向に向かう。
ざっとあらすじ。
もうこれを読んでハッとしたことから言おう。
懸命にもがくことと逃げることは同じことで、逃げるてる人間こそ最も闘っている人間なのだ。
社会で上手くやっていくことに何の意味がある?
社会から逃げるのだって必死だ。頑張らないように必死だ。
こんなに密接に社会と個人が溶け込んでいる現代において、社会に関わらずにいるなんてことは相当な覚悟が必要だ。就活で100社からお祈り通知もらうとなんて比にならない。
そんなことも知らずに、そんな覚悟も知らずに笑ってる奴。そういう奴が面白くもないのにくだらないことを言ってクラスでちやほやされる奴なんだ。全然面白くない奴。
もう一度言うけど、逃げてる奴が一番過酷な闘いをしている。
その闘いは孤独で、先が見えなくて、戦い方も分からなくて、周りの人間は戦うことから逃げちゃってるから闘うのは自分一人だけで、理解者もなくて、相手も見えてなくて、もはや闘っていることすら疑わしい。
そんな闘いが社会にあるか。これは社会から逃げてる人間の甘えか。
甘えなら、それでいい。
ただ、甘えだって笑った人間は、甘えたくなるような環境に身を置いたことすらない人だ。
甘えかもしれない。でも、少なくても甘えたくなるような環境にいるんだ。
あなたが強いんじゃない。あなたの環境がぬるいだけだ。
社会から逃げて背を向けた時、ラジオのネタに懸けるものにどれほどの思いがあるだろう。
何の見返りもない。何の社会的価値もない。
わかる人間とわからない人間との間には大きな溝があるんだろうな。
未来永劫埋まらないんだろうな。
深夜ラジオはクズの吹き溜まりかもしれない。
でも、そのクズは圧倒的な闘いを前にしている。
私にはクズじゃない。英雄でもない。
リスナーはリスナーだ。
常連さんは憧れるけど…
ちょっと逆説的で分かりづらかったですよね。
よかったら、読んでみてください。
ラジオファンはもちろん、ラジオファンでなくても、今の自分に返ってくるものにハッとする内容です。すごくいいです。私も逃げます。逃げると言う闘いに挑みます。ずっと底に落ちます。
では、こりゃまた失礼いたしました。