本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。 コカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

AM1:00-3:00

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

ゼリーの発音

 

 

どうもこんにちは。

 

Twitterのトレンドの流れっていうのは数時間おきにコロコロ、コロコロと流れていって面白いトピックだなってちょっと考えているうちにもうすぐ次のトレンドに押し出されてて、絶えずしてって行く川の流れは鴨川なんて比じゃなくてナイアガラみたいなもん。あ、あれは滝か。

 

関係ないけど、スマホゲームの話題が多くて、あれのことかな?って覗いてみたら、全然違うキャラクターの画像がズラーと下まで続いていて、全くやらない私にしてみりゃ、ナンジャコリャ?ってこともしばしば…

 

そんな激流を行く川から掴んでみたのが

 

「ゼリーの発音問題」

 

ざっと説明すると、定着してきた吉田羊さんと鈴木梨央ちゃんが母娘を演じるポカリスエットのCM「ポカリ、飲まなきゃ」シリーズの新作がことの発端。吉田羊さん、キレイですね、鈴木梨央ちゃん、愛らしいですね。

今回の作品は『なつやすみのジェリー』と題され、母が娘に「ゼリー」の発音を教え込むという内容。

 

スペルにすると「jelly」だそうで。でましたね、日本人がとらわれる英語発音のるつぼの大御所、「l」「r」問題。

今回はこれがきっかけなんですね。

 

 

ポカリスエット ゼリーCM|「なつやすみのジェリー」篇 15秒

 

英語の発音をなおすシーンっていうのは 桓武天皇が都を平安京に持ってきた頃からある実にオーソドックスな演出ですね。

 

で、この母が教えてる発音が間違っているぞ!影響力の大きい公共メディアが間違っていいのか!けしからんぞ!

 

ってTweetが火種となり、賛否両論を方々で好きなこと言ってるわけですよ。

で、これから私も好きなことを言わさせていただこうというわけですが、先に結論だけ言いますね。

 

何言ってんだ、こいつ。

 

口が悪いので丁寧に言い直しますね。

 

何を仰っておられるのでしょうか、この方は。

 

まず、私が言いたいことは

公共のメディアが間違ったことを言ってはいけない

という主張に対する反駁です。

 

CMがメディアかどうかも疑わしいのですが、そこまで追求すると面倒な定義の話になりますので、いいでしょう、ここではCMはメディアにしておいてあげましょう。

 

メディアが間違ったことを言ってはいけない

では、例えば、auのCMで桃太郎、浦島太郎、金太郎、3人がつるんでますが、あれは間違ってますよね?

おとぎ話の中で三太郎はつるまないぞ!ってなぜ言わないの?

桃太郎とかぐや姫の間には子供がいますよ。これはどうですか?

 

ちなみに、余談ですが、桃から生まれた父親と竹から生まれた母親から生まれる子はどこから生まれるのか気になってます…

 

まぁ、いいや。

 

これはだって演出じゃないか。

そもそも、おとぎ話は作り話だよ。

 

っていうなら、吉田羊さんと鈴木梨央ちゃんは作り話の中の親子ですよね。

 

三太郎は明らかな作り話だって分かるけど、ゼリーの発音は間違った方を信じてしまう人もいる。

っていう反論も出るでしょう。

 

しかし、あのCMはNHKが製作した語学番組じゃないんです。

あのCMが商品の売れ行きに関する影響力は大きけれど、まさか、あれをみて、本当に発音を変える人のなんているでしょうか?

 

つまり、あのCMが持つ日本人に対する英語発音の影響力は間違った三太郎の関係の認知に対する影響力とさほど変わらないんじゃないでしょうか?

 

だいたいそんなことを言うなら、CMよりも格段に影響力の強い学校教育はさぞ素晴らしい発音をご鞭撻なさってることでしょうね。

あら、ちょっと嫌味な言い方。

 

まず、これがメディアが間違ったことを言ってはいけない、に対する反駁です。

 

次に私が言いたいのは、

CMの演出意図が全く考えられていない

 ということです。

 

先ほどの「メディアは間違ったことを言ってはいけない」にも通ずるところがありますが、英語の発音の間違いを指摘する前にこのCMの演出意図を考えたのか?、ってことです。

 

母娘が仲良くポカリゼリーを飲んでふざけ合っています。

そのおふざけとして母は娘にもっともらしく、発音を教えて遊んでいます。

これは遊びですよね、明らかに。

 

母が娘と机を挟んで向かい合い、ノート開いて鉛筆片手にって言うシーンなら真面目さも伝わってきますが、壁に寄りかかって、互いにもたれてって真面目さが微塵もない。

 

正しい発音を教えるよりも、間違っているかもしれないけど吉田羊さんの想像する英語らしい発音をしてもらった方が、より自然な演技に見えるのでは?という演出意図があったかもしれない?

 

よくこんな微笑ましいシーンの発音を指摘したな、とすら思えてきます。

 

それに、これはわざと間違ったことを教えている、と言う解釈もなしではないでしょう。

 

例えば、この演出家はかねてより、日本人が英語の発音をコンプレックスに思い過ぎてることに対して異議を唱えたかった。

そこで、今回、あえてわざと間違った発音を教えるシーンにすることで「lでもrでも、世界では通じるんだよ」ってことを意味したかった。

 

って言う私の解釈をありえないと完全否定する根拠は今の所揃ってませんよね。

 

調子に乗ってもっとひっちゃかな解釈をご披露しましょう。

 

どうしてこれが英語だと言えるんですか?

 

先程も言ったようにこのCMは作り話ですよね。

この作り話の中では、母はこの作品の中に存在する英語ではないけど極めて英語に近い架空の言語を扱っており、その言語では正しい発音なのかもしれません。

もしくは、この作り話の中では、英語を話す非英語圏の人が優勢となり、訛った英語がベーシックになっている、と言う設定かもしれません。

 

今の所この解釈を否定しうる根拠もないので、無理は大アリですが、これも考えられますよね。

 

こんな無理がなくても、なぜ間違っているのかを少しは考えてみたのでしょうか、彼は。

演出意図を考えることなく、いきなり作品にケチをつける行為は製作者に対して、これ以上ない冒涜ですよ。

私には自分が英語の発音が出来るんだって知識をひけらかしたかっただけにしか思えない。

 

もっと制作側の意図や思案を考えようと寄添わなければ、作り手側はどんどん受け手に伝わる分かりやすいものに傾倒していって面白いものや奥深いものが創りだされなくなる。

今回のことは些細ですが、私はすごく頭にきました。

語弊を恐れずに大仰に言えば、創作に対するレイプですよ、こんなの。

 

英語の発音の間違いを指摘したことに対してではなく、作り手側の意図を考えずに間違いを指摘したことに対してですからね、一応ここで改めて言っておきますね。

 

映画にしても小説にしても芝居、ドラマ、お笑い、音楽、絵画なんでもそうですが、作品が低レベルなのと自分が理解できていないことは別です。

 

っていうことを、簡単に自分の意見を発信出来るようになった自分への戒めにね、記しておきましょうね。

長々とこんな文章を読んでくださるお暇な方がどこにいるのか…

 

では、こりゃまた失礼いたしました。