なんてたってジョニー

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手に

荒削りな思索1

どうもこんばんは。

 

どうやら、編集の機能をうまく使うと見出しやら目次から飛んだりとか出来るらしいね。
もう少ししたらそういうのにも兆戦してみよう。

 

もともと私は日記としての記録性でなく、エッセイ的なものを書きたいと思って始めているので、あんまりその日一日の出来事は書かないかな…

 

コンピューターの発達で社会は情報化社会になったとみんな言うけど、この情報化社会とはなんぞや。
ただ、物知りであれって社会なのか?
文脈によってはそう言う使い方する人もいて何言ってんだ、と思ってしまう。

 

情報のやり取りがよりスピーディーになるから敏感におなりって事だと私は解釈してるのね。だって、ものを知ってると言うことはインターネットの誕生と同時に人間の価値の一部から排除されてるからね。
そりゃそうよ、人間の脳ではコンピューターにはクオリティだってクオンティティだって敵いっこないんだからね。

 

では、コンピューター誕生後、人間に求められるものは何か…

 

私は、知的創作だと考えるんですよ。

 

最近、コンピューターは小説を書いて創作は始めたらしい。
けど、私が言いたいのは知的創作ってやつ。おそらく私の造語。

 

ただ、型を流し込んで作品にする創作ではなく、作品が思考思索の結果の所産であると言うこと。それが私が言いたい知的創作。
私は商業的娯楽と純な芸術との境はここにあると考える芸術至上主義者であるんで極端かもしれないけどね。

 

コンピューターの書いた小説は大量の過去の作品を分析し分類し真似ることで完成したものであって、その創作過程に思索が一切ない。もちろん、人間の記憶力を凌駕する膨大な量の資料をインプットしているんだから、それはそれで面白かったりもするんだけどね。でも、思索に苦しんで生まれる作品には敵わない。
それをあえてし、作品にするのが人間の芸術家なんです。

 

情報化社会になって改めて芸術について考えました。

 

ちょっと荒いのでもっと丁寧に思索しようね。
なんてったって私は人間だからね。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。