映画の話
どうもこんばんは。
はてさて、今日は何について書こう。
こうも書かない日があるんなら、何書こうなんて迷ってる日は書かんでもええんのとちゃうかいな…
テレビを置かない我が宅では基本、ラジオか音楽か、ネット配信のバラエティを観るくらいがせいぜいの音。
それがないと生活音しかない静かさ。実家の時は勝手に音がなってたのにね、急に静かだ。
でも、ちょっと物足りなくなってきちゃったんで、もともと映画が好きな私はとうとうアマゾンプライムに入って映画が観れるようになっちゃったのよ。そしたら、この3日で映画を6本も観てしまって読もうと思ってた本は放ったらかし、最近勉強し始めたジャズ理論のテキストのしおりは3日前の5ページのまま。
ああ、一気に文明の便利に支配された。
とは言っても、ラジオだってradikoの便利の、音楽だってiTunesの便利の上に成り立っているわけで、アマゾンプライムが支配した私の生活はせいぜい1/3な訳だね。
ただ、聴覚だけで十分なラジオ、音楽と違って、映画は視覚も必要とする、つまり、活動に制限がかかってしまう、というのも事実で、やっぱり支配された私の生活の割合は大きいでしょうね。
私は、何をこんなに自分の生活への侵略を気にしているのか。
別に大した生活なわけではなかろうに。
ちなみに観た映画は、
『清須会議』『海街ダイアリー』『鈴木先生』『キサラギ』『ラヂオの時間』『12人の優しい日本人』
と、なんだ三谷幸喜と古沢良太作品ばかりじゃないか。偏ってるね。
うーん、一個一個の感想書いてたら、時間もないし、そんなものを読みたい人もいないだろうから、一言二言づつね。
やっぱり三谷幸喜作品はワンシュチュエーションコメディ(そんなジャンルがあるんかいな)でこそ本領が発揮される作家だね。そういう意味で『ラヂオの時間』『12人の優しい日本人』は三谷作品の真骨頂。『清須会議』も面白いんだけどね、やっぱり私は先の2作の方が好き。
特に群像劇であると人間関係のもつれと時間の経過とがストーリーに推進力と重層性を持たせる。そのあたりが本当に上手い。脚本と役者がやっぱり信頼感で大きく繋がってるのが作品の魅力になってるなぁ、というのが感想でございやすね。
ちなむと『12人の優しい日本人』は元ネタ『13人の怒れる男』ってのがございまして、こっちはもうちと重め。
『海街ダイアリー』みたいな何も起こらないという生活が起こってるドラマ。
でも、ワンシーン、ワンカット、一言に登場人物に心情がうまく表れていて、いい映画。結構好きな映画の一つでして、ちょくちょく観ちゃう。うーん、言葉にしたくないな。観たことある人とああだねこうよねって言い合いたい映画。
複雑な家族関係を紐解く時間。時間でも解けない気持ち。割り切る割り切らないじゃないもの。
そういう言葉にならないものをたくさん孕んでいるけど、あからさまに押し付けない感じ。ああ、いい映画だなって惚れ惚れしちゃう。
私はこれが言いたいの!って押し付けられるものほど、なんとか粗はないかしらと探したくなるものよ。
古沢良太って名前はそんなに有名でないかもしれないけど、関わる作品をあげれば、おお!ってなるはず。
例えば、一番の有名どころで『リーガルハイ』。
そう、ガッキーの可愛さと堺雅人の狂乱的演技が織りなす法廷コメディの最高傑作ドラマです。
あとは『エイプリルフールズ』も有名ですね。
そんな古沢作品が真ん中のの二本。
会話のテンポ感の良さは『リーガルハイ』を観た人なら、痺れるはず。『キサラギ』は自殺したアイドルを巡って集まった男たちが繰り広げるテンポ感と小ボケ満載の会話に笑っているうちに、だんだん紐解けてくる謎。仕掛けが見事。
ところが『鈴木先生』はそんな古沢作品らしいところがない。シリアスとまではいかないけれど、ギャグのない真面目な路線を彼が書くのを初めて観たけど、面白い。選挙のシステムに対して中学生の演説シーンなんか民主主義って?って考えさせられちゃう。それ以外にも私はなんでもないとスルーして学生生活を終えたけれど、学校、地域という小社会に存在する独特の不条理、理不尽が先生と卒業生という関係性からスポットを当てられた作品。
あー生意気にベラベラとごめんなさい。
まぁ、流石にこの文章が各作品関係者に読まれることはないだろうけどね。
万が一、億が、兆が、京が一、ご覧になれてしまってたら、本当にごめんなさい。
では、こりゃまた失礼いたしました。
おめでとう、39年!
どうもこんにちは。
本日、6月25日は私が敬愛してやまないサザンオールスターズの39回目のデビュー記念日でございます。
桑田さん、原さん、関口さん、松田さん、毛ガニさん、おめでとうございます!!!
39年ってすごいですよね、私の生涯でこんなに続くことってあるのかしら。
新曲が出るたびにワクワクさせてもらってます。いいね、サザン。カッコいいおじさん、おばさんだよ。
私がサザンを聞きはじめたのは中学のこと。
当時、吹奏楽部員だった私は、部活帰りに何人かでつるんで公園でだべって帰るのが習慣だったの。
先輩の愚痴、指揮者の愚痴、くだらないことなんかをずっとダラダラと話す時間が最高に楽しかった。
吹奏楽部の割に男子の人数が多く、いつも男子が4人に女子が4人くらいがただただ公園でくだらないことを話すだけ。
その中の1人にサザン好きな奴がいて、公園でのBGMがずっとサザンだった。自然と覚えて、自然とカラオケで歌うようになって、自然と体に染み付いて、自然と中学青春時代の記憶の残り香になってしまった。
だから、桑田さんの作るサザンの音楽が好きだというのもあるけど、そこに香る中学時代の懐かしい想い出も好きなのだね。
初めてラジオを投稿し始めたのは桑田さんのラジオ『やさしい夜遊び』で、この写真は初めて採用されて記念に送られて来たもの。今もすごく大切にとってあるねぇ。
あとは、いつかのゴールデンウィークの特番「はげしい夜遊び」でもリクエストが読まれたのもいい思い出ね。
中学青春の思い出からサザンの記憶、そこからラジオの楽しさ、今の私の好きが連鎖して行く。
きっと、この先も桑田さんの音楽が連鎖を続ける私の好き。
次のアルバムはどんな連鎖を見せてくれるのか。今からワクワク。
これからも元気で頑張ってください!
おめでとう、39年!
では、こりゃまた失礼いたしました。
中途半端の始まり
どうもこんにちは。
ちょっと間が空いちゃった。
やっとこそさ、仕事を見つけて働き始めたら、帰ってきても疲れちゃって、帰りの電車とかであーでもこーでも考えても結局書かずじまいで、もう週末。
早朝からお昼過ぎまでは電車で30分のところにある観光地の飲食店の板場で、夜は音楽バカが集まるバーでアルバイト。
飲食店は学生時代にチェーンのカフェで働いていたくらいで、魚捌いたり、揚げ物とか煮付けとかなんてちゃんとやるのは初めてでてんやわんや。
でも、まぁ炊事を実家の頃からある程度やってたから基本的なことはできるのがせめてもの救い。
あと、でも飲食は賄いがあるからありがたい。
バーの方は音楽好きの人たちと一緒にただで飲みながら、たまに楽器演奏したり、また飲んだり。
仕事自体はとっても簡単だけど、そんなにお金にはなんない。
でも、あの空間に居られることに価値が見出せるから、全然構わないのよ。
労働は良くないね。
働くのは身を削るだけだね。
どうして働かないと生きていけないんだろうかね。
欲張りすぎて、自分のことが自分でまかないきれなくなるから、分担して専門性を追求する必要があるのよね。
その道ってものができるわけだ。
まさに開拓してできる獣道よね
でも、今、せっかく追求し、極まった専門性を機械とマニュアル化によって誰でもできるようになってしまって、獣道にまた雑草が覆い始めてるわけだ。
いいですよ、簡単なステップを覚えるだけで誰でもプロみたいになれるのは。
でも、マニュアルによって方法を習得しただけの素人は専門性を突き詰めたプロと違って微妙な違いがわからないから、こだわりが持てないんじゃないだろうか。
こだわりが持てない人間が量産されて行っても、その世界の広がりには繋がらないではないのか。
いわゆる「わかる」という人がいなくなっていくんじゃないか。
とかなんとか言って、結局のところ、私は私にしか出来ないことがしたい。
と、いうわけだ。
私だけの専門性が欲しいのだ。
自分の現状に満足いってないのはわかっているけど、何に満足するのかを探すこと、見つけたとしてそこを追求すること、そんなとこはサボりたいわけだ。
中途半端だ。
頑張れ、私よ。
まだ、なんだかんだ言って若人じゃないか。
では、こりゃまた失礼いたしました。
時間売買、さよなら自由
どうもこんにちは。
今日は昨日と打って変わって暑かったですねぇ…
こういう日はコーラが美味しいんだな…
いい陽気だね。
ここのところ、『あまちゃん』を見返してるんだけど、やっぱりいいドラマですね。
あきちゃん、かわいい。
春子さん、カッコいい。
そして懐かしい。
たった15分だから、
「これで最後にしよう」
とついつい次の回を再生しちゃうと、止まらなくなって15分が30分、30分が45分、あらまもう1時間。
そんなこんなで午前中はだらっと。
Twitterで私に向いてる職業診断みたいのをやってみたら、どうもフリーライターらしい。
あとは劇作家、言語学者、ソングライターらしい。どうでしょう。
劇作家なんかはやってみたいかもな。
ちょっと寸劇書いてみようかしらね。
でも、ジャズ理論も勉強したくて、楽器も練習したくて、サーフィンもやってみたくて、時間って本当に足んないのね。
足んない時間の売買ができたらいいのに。
生きることに絶望した人は自殺するよりも残りの寿命を人に譲渡できたらいいんじゃないかしら。
こういうのは非道徳的だと非難されるのかしらね。
ちょっと今度考えてみよう。今日はそんな気分じゃないかな。
あと、考えてみたいのは、自由なんて存在しないよね、ってこと。
で、ある程度の自由を保障するために倫理を確立させて、それが崩壊してきた現在、新しい発想が必要よね。
これは考えてみたいね。
あと、美味しい唐揚げの作り方。
うーん、なんか考えるのかかったるい。
では、こりゃまた失礼いたしました。
結婚けっこう〜某KBの総選挙〜
どうもこんばんは。
わぁー今日は飲むぞ!朝までだ!
ってつもりだったのに大河ドラマよりも先に終わっちゃって拍子抜け…
なーんだ、じゃあ、駅前のカラオケでトランペットの練習でもしてこよう、と思いながらTwitter開いたら、昨日の総選挙の結婚発表のことが方々で意見されててあーでもない、こーでもないと色んなの読んでちょっと考えましたよ。
アイドルの恋愛禁止
まず、この意味ですよね。
なぜにアイドルは恋愛が禁止なのか。
まあ、特定の人に占有(便宜上この言葉を使いますが、別にそこに深い意味はありません。以下女性をもの扱いするような表現を使いますが、お気を悪くされる方がいたら申し訳ありません。)されている子よりも誰にも縛られない子の方がいいというのはファン心理でわかります。
でも、女優の結婚は「〇〇ロス」程度で済むのに、アイドルだとここまで騒ぎが大きく非難が多いのでしょうね。
アイドルと女優とで何を売っているかの違いですよね。
女優はあくまで役者としての演技力を売り物にしているのに対して、アイドルは歌唱力?容姿?
私はイメージだと思うんですよ。
歌の上手さってのはある程度、多くの人に共有される部分があります。
あんまり好きではないですが(過去の「数字嫌い」をご参照くださいな)、カラオケの機械で採点して数値化すればみんなが同様の認識を共有できますよね。
容姿に関しては、多少人によって好みがありますが、それでもやっぱり共通の認識は得やすいものだと思います。
ミスコンで優勝された人を「この子よりあの子の方が好き」ってことはあっても「この子は全然綺麗じゃない」ということはあんまりないでしょう。
しかし、私がアイドルの売り物にしていると考えるイメージは人によって大きく分かれるんじゃないかと思います。
政治家でもクリーンなイメージの政治家と汚職にまみれてそうな政治家となんとなく分かれますよね。
ことに悪いイメージは共通の認識が一致しても、いいイメージって一致しないことがたまさかありますよね。
一度悪い印象がつくと挽回するのは難しい。そういうことでしょうか。
そうなるとアイドルの売り物ってとても繊細なものを扱ってるんですよね。
ちょっとしたスキャンダルで見なくなるアイドルなんてごまんといますもんね。
そのスキャンダルを逆手に取れる人もいますけどね。ちょうど此度の一位の人ね。
で、今回の結婚発表ね。
うーん、繊細で傷つきやすいイメージをまるでダイヤモンドをメリケンサックをはめながら扱うかのような、粗さだなぁ、という感じが否めませんね。
問題はそこだったんじゃないですかね。
恋愛するにしろ、結婚するにしろ、ちゃんとイメージを丁寧に扱うことが出来ないんじゃねぇって感じですよね。
結婚して幸せになられるのはとてもいいことなんですけどね…
プロのミュージシャンなら商売道具の楽器は丁寧に扱うし、野球選手はグローブの手入れを怠らないし、じゃあ、アイドルならファンに提供しているイメージのメンテナンスが不可欠ですよね。
例えば、握手会なんかもまさにイメージのメンテナンスですよね。
そういう意識の欠如が出たんじゃないでしょうかね。
まぁ、私は今のアイドルに疎いので、大きな声では言えませんけどね。
だってキョンキョンが一番のアイドルなんだもん(笑)
ちょっと酔ってるからこれ以上失言が出る前にね。釧路の湿原なんちゃって。
あーだめだ。
では、こりゃまた失礼いたしました。
すごく雨読
どうもこんにちは。
やっと梅雨って感じですねぇ…
暑い日差しも好きだけど、こういう家に籠りたい気持ちの背中を後押ししてくれる雨もいいもんですねぇ。
まさに晴耕雨読ってやつだ。
最近読んでるのは
窪美澄著『水やりはいつも夜だけど』
戸田山和久『哲学入門』
くらいかなぁ…
私は普段からカバンの中に本を3冊くらいは入れておかないと気が済まない人間で、電車とかカフェとかでパラパラとね。
その時の気分で読みたいものも変わるので、3冊くらいはいるんですね。
私は平均して月10冊は読むかな…
でも、初見ばっかりじゃなくて、読み返したりするのも含むし、短編小説のお気に入りのを一つ二つだけってこともあるしね。だから実質も読書量はもっと少ないかな…
本屋はすごく好きで、だいたいどこの町や駅でも大きな本屋に入っちゃう。
本屋に入るが最後、買わずに出てこれることなんて本当にごくごく稀。必ずなんか手に取っちゃうのよね。
だいたいはジャケ買いで、タイトルだけで選んじゃう。それが面白いとその作家さんの作品をずっと追っかけて探していく。そんなにスタイルが私の選書基準ですね。
最近だと、前述の窪美澄さん。
彼女のは映画にもなった『ふがいない僕は空を見た』が面白くて、見つけてたら手に取るようになっちゃった。最近だと『よるのふくらみ』はすごくよかったな…
この人は今まで書かれてきた数ある古今東西の人間の感情の隙間を縫っている感じ。近しい感情をもっと正確にセパレイトして微妙な違いの間をいく。
その描き方が現代とすごくマッチしていて、もっと青春時代に読んでおきたかった作家さん。
もちろん、今からでもとても楽しませていただいております。
買って数ページ読んだらつまらなかった本もいくらもあります。
でも、作品がつまらないのか、私が世界観について行けていないのか、定かじゃないからね。
「これはつまらない本だ」とは口が裂けても言えないよ。せめて、その作家の全著作を読んでそれでも面白いと感じなければ、「私には合わない」という言い方はできるだろうけどね。
それでいうと『金閣寺』『仮面の告白』を読んで「三島は全然理解できん」と思って悔しいからからの作品は全部読んでやった。そしたら、唯一、『潮騒』という作品だけはすごく好きで、私的傑作に入って、今でも夏に読みたい一冊。
そんな出会い方もあるのね。おもしろい。
つまらなかった本は机の上に積み上げられて、ふとした時に、それはもう1年経ってることもあるし3年経ってることもあるんだけど、読んでみるとあれ、面白いってことになってたりもする。
そんなこんなで、すぐ読まなきゃ義務からの免責がいつの間にか増えていく私の読まれ待機中の本を増やしていくわけだ。
時間とお金とスペースの問題ね。
明日は晴れるかなぁ…
では、こりゃまた失礼いたしました。
大人なコーラ
どうもこんにちは。
今日はバカみたいに暑いね…
日本各地こうなのかしら。
こういう日はだいたいそこかしこで、暑いのと寒いのだったらどっちがいいかって議論が巻き起こってることでしょう。
私も中高生の頃よくやりましたよ。
私の立場は一貫して暑い派なんですね。
理由は至極明快。
だってコーラが美味しいじゃん。
これがビールと言えないところがお子ちゃまなところ。
でも、コカコーラでいいんだ。
私は血がコーラで出来ていると言っても過言ではない量のコーラを毎日摂取していて、その量1.5ℓのペットボトルを週に5本空けるくらい。
将来、絶対糖尿病になるだろうけれど、コーラを飲めないで鬱になるくらいならまだましか、という感じ。
私はコカコーラ中毒者で、その他のペプシだとかメッツだとかは絶対に飲まないの。
赤いコーラのみ。
このコーラ中毒の発症原因と時期については学説が分かれますが、おそらく中学の頃。
我が家では基本的に子供の飲酒ならぬ飲炭酸は禁止されてたのよ。
外で食事した時にたまに食後に炭酸を飲んでよかったくらいなもんで、家にある炭酸という炭酸は全て大人と飲み物だった。
中学生になって自分の小遣いで好きなものが買えるようになると真っ先に買ったのがコーラ。
うちの冷蔵庫に毎日あるのに手が届かなかった赤いコーラ。
それから今までのリミッターが外れて毎日コーラ三昧。
習慣とは恐ろしくいつしか中毒に。
「コーラすごい飲むね」
とは、ずっと言われてきたけど、
「なんでそんなに飲むの?」
なんてことは自分でもずっと考えてこなかったから、先日聞かれた時に、はたと考えちゃった。
いつ始まったかのか定かでないことが、さらっと習慣になり、いつの間にか当たり前になって、私のアイデンティティの一部として私の像を構築する。
コーラ以外にどんなものがさらっとやってきて、私を構築しているのだろう。
何が私を私だとみんなに認識させているのだろう。
ずっと幼い頃の記憶を辿っていくと、もっと私の起源が待ってるような気もするけど、辿っていくすべもなくい。
でも、今、私自身が未来の私の起源であるというのが面白くて、どんな私の起源を未来の私に作ってあげようか。ちょっとわくわく。
好きな子に振り向いて欲しくて、その子が聞いてる深夜ラジオのネタ投稿始めたんだぞ。
たまさか入ったジャズバーで音楽の楽しさを思い出して、再開するんだぞ。
こんなことをいつまで覚えていて、いつ辿ってこれなくなるのだろう。
起源の帰り道を忘れた私は少し切ない気持ちになるだろうか。
こういうのが大人の証拠かい?
だったらビールが飲めるだけが大人の証拠で十分だ。
ふう、暑いね。
コーラ飲んでこよ。
では、こりゃまた失礼いたしました。