なんてたってジョニー

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手に

科学で出来た大黒様の袋

 

どうもこんにちは。

 

これについてブログを書こうかなってものをメモしておくんだけど、今見ても何が言いたいのか全然分からない。

なんかこの状況読んだなと思ったらショートショートの神さま、星新一さんがエッセイで書いてたんだ。「できそこない博物館」ってやつだったと思う。確認しよう。うん、そうだ、合ってる。

 

小学生の頃に星新一さんを読んですっごく楽しくてワクワクして、結末に呆気にとられたり、愕然としたりした。授業中に我慢出来ずに机の下で読んでるのが先生にバレて何度没収されたことか。もしかしたら、先生に隠れて読んでいるスリリングさも良かったのかもしれない。

 

代表作はごまんとあるけども、やっぱり「ボッコちゃん」が一番良い。

科学技術がすごく発達して、人と人とが肌を合わせなくても生活できて、隣の人が息をしているのかも気にしなくなるほど無関心になっても、人間は人間が好きなんだ。

ロボットに生活が支配される話はいくらもあるけど、「人間は人間が好き」だという当たり前を教えてくれるのはボコっちゃんだけだ。みんなが死んでから、誰もいない深夜のバーに向かって囁くラジオに相槌を打つボコっちゃんの切なさは人間に対する愛そのものだ。

 

とかいう人間とロボットの関係を言いたいわけじゃない。私の生活は科学無しでは成り立たないし、テクノロジーを信じないなんていうのは戯言だ。

 

ただ、こうもにんげんが科学の発展に対して後に引けない姿勢はいかがとも思う。

人間の技術が発展すると同時に壊せれる環境、拍車のかかる温暖化。これらを食い止めるために選んだ手段がさらなる科学技術の発展とはどうなのか。ちょっとぐらい後ろを振り返って懐かしい頃の生活をしてみてもいいんじゃないか。

薬の副作用を薬で治すんじゃ、次の薬の副作用は何で治すのだろうか。

人間の「前に前に」という姿勢はいつも尊敬する。なんて書き方するとまるで私が森の物知り博士のフクロウみたいだ。だけど、前に出すぎるとたまに痛い目に遭うこともある。マリオが常に画面右側にいたら、その先にクリボーに気付かずやられてしまうよ。そういうことだってある。

別にだからって世界が後退すればいいだなんて思っていない。足るを知れってことでもない。ただ、前に行かずにいるヨッシーがいたっていいだろうし、そのヨッシーがマリオを背負おうことだってある。なんていうか、固定した役割を与えてくれるなってことかな。

 

大黒様の袋の中には幸せなんか入っていない。ただ、回収された不幸が入っている。不幸のない生活を幸せだと思えないと、自分から不幸の詰まった袋の中に頭を突っ込むことになるかもしれない。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

 

 

「勝手にふるえてろ」

 

どうもこんばんは。

 

今日ははるばる小田原まで、ずっと気になってた松岡茉優さん主演映画「勝手にふるえてろ」を観に行ってきました。

平塚すぎると車窓が懐かしいのね、東海道線

 

いい映画だった。

今、言葉にするにはどんなのがいいかすごい悩んでる。

私には経験のない恋愛体験なのにすごい共感をした。どこにかな。

恋愛に対してよく「臆病」って言いかたするけど、あーちょっと違うんだよな、って思った。

そもそも恋愛って赤の他人を無条件で受け入れ合うことだから、臆病とかそういうんじゃないんだな。私がそんなに深く介入していいの?って。

でもね、本当によく分かるんです。些細なことを自分で勝手に解釈して傷ついたり、喜んだり。疲れるんだ。でも、自分がそれを心底楽しんでるんだ。わくわくしてるんだ。昨日なんでもなかったアンモナイトの化石が、今日は好きな人との思い出の品に変わったせいでとんでもなく愛しくって、明日になるとマフラーで覆って隠したくなるほど憎くなるんだ。赤いポストイットだってそう。

好きな人にベクトルを向けるのって辛いんだよ。すごい分かる。後になると、なんてことないやって楽になれるんだけどね。
  
自分と世間との距離。孤独。ズキズキする心の痛み。空回りのときめき。

10年間一人のことを妄想で想い続けるなんて経験ないし、好きな人と付き合ったこともない。だけど、すごく共感して、ため息が止まらない。

 

こじらせ過ぎた良香の恋愛感情にも共感しできるところはあるけど、二の気持ちがすごいわかる。いい奴だよ。ピクニックで良香が放った「好きな人といるより自然な人といたい」って言葉は恋愛の延長線で的を射てるんだけど、それを言われた二はいたたまれない。なのに、良香は二からの告白の時に抜けていた「好き」という言葉を求める。女って分からないね。ラストの玄関先のシーンでどんどん切なさと愛おしさが込み上げてくるのとは裏腹に、笑いしか湧き上がらない2人の会話はテンポといい、ツッコミといい、笑えば笑うほど二がいい奴でしかなくなる。

 

キャスティングと配役がバッチリ。

片桐はいりさんが窓から顔を覗かせてオカリナを吹く画の爆発力よ。人形みたいな格好の趣里さん。松岡さんとは去年の舞台「陥没」で同級生役で共演。何よりも「色即ぜねれいしょん」で知った渡辺大知さんのあどけなく、まっすぐで、純情な二は素晴らしかった。もちろん、松岡さん。喜怒哀楽の一つ一つが繊細で「喜」「怒」「哀」「楽」の中でもさらに細かい感情が込み上げてて携帯を投げる仕草、アンモナイトの化石を愛でる仕草、どの仕草や動きをとっても「江藤良香」その人だった。

 

名前が「岡 里奈」とか「久留美」とか「紫谷」とかちょっと引っかかる。一と良香の最後も名前がキッカケだし。

 

明日朝一で原作とシナリオ買ってこよう。

 

見終わったあと、私が勝手にふるえてしまった。

帰りにJR鴨宮駅の階段に貼られてたポスターの松岡さんは寒そうな雪国のかまくらの中で全然ふるえてなかったな。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

 

年頭言〜2018年〜

 

どうもこんにちは。

今更ではございますが、明けましておめでとうございます。

 

2017年は私にとってはなかなかに激動の一年となりました。

大学を思い切って辞めて、入った新しい世界。自分ならやっていけるという括ったタカは見事に計算違いで、足を洗って心機一転越してきた地が茅ヶ崎よ。新しい出逢いと世界に魅了され、学生時代の音楽熱が再熱し、新しい仕事に日々を浪費し、いつも脳内あーコリャコリャな毎日。

 

慌ただしく迎えた2018年。

所信表明ではないけれど、ちょっと考えてみましたよ。

だからどうてこたぁないだろうけどね。

 

まず、大きな目標として考えたいテーマがあります。

私は座右の銘じゃないけれど、こんな生き方がしたいってのに

死なずして生きることを辞めたような人生を送らない

ってのがあります。

 

いつだか深夜のデニーズで小説を書いてたんだか、深夜ラジオのネタを考えてたんだかで思いついた言葉。

なんか深みがありそうでしょ。でも、この時はこの言葉の雰囲気だけを気に入って全然深みなんか考えてもみなかった。今になってこの言葉の持つ深みに気づいて、なんだよ今、死んではないけど生きてもないよって当時の自分に聞かせたい。

 

「死なず」ってのは生物学的に息をしていて、心臓が動いていて、血が体を疾走していることを言うのでしょう。

「生きることをやめる」ってのは精神的なものでしょうね。

しかし、ひとえに精神的に生きるって言ったって色々考えようがありますよ。自分のやりたいように生きることなのか、高みを目指して生きるのか、道徳的な生き方なのか、はっきりしませんね。

 

だから、2018年はここで言う「生きる」について考えたいと思います。

確実に日々を垂れ流しているだけの今の生活にはないものです。それを見つけて、次の活路の見出せない現状のヒントにしたい。今後の自分に向き合う契機にしたい。そこから次を始めよう。

そんな思いなわけでございます。

今年の12月31日にはその答えをここに記せるように考えてみます。

 

さて、ちょっと抽象的な内容でしたね。次はもっと具体的な内容に入ります。

 

生活面では、きちんと家計簿をつけて無駄なく金銭管理をし、まずは年内で100万貯めることを目標とする。

あとは時間の管理もしっかりする。毎日やることをTO DOリストにしてやるべきことはしっかり終わらせる。予定の管理は時間の目処を立ててしっかりやる。

 

次に音楽関係。

トランペットは毎月一曲は新曲を下ろす。フルスケール制覇する。ロングトーンタンギング等の基礎を今一度。

ドラムは教則本の上巻を終わらせる。練習ではメトロノームを使う。

芸大和声の上巻を終わらせる。ジャズの理論書の上巻を終わらせてトランペットでのアドリブに応用していく。ピアノを使って音程感覚を養う。

 

あと、映画は月に1本、芝居は2ヶ月に一本、劇場に足を運んで観る。行ったことのない新天地に5箇所は行って一泊してみる。本は年間50冊は読む。このブログは月の1/3の頻度で更新する。習作の文章を偶数月に一作書いてみる。深夜ラジオの投稿を続ける。目指せカーボーイのMー1。

 

欲張ったな、私。

出来るかな…

まぁ、やってみようかね。

 

なるべくここでも報告します。

要らないだろうけどします。するんです。

外に発信していかないとグズグズしちゃうから。ちょっと苦しくらいの生き方をあえてしてみます。

何に対してどう向き合うことが私の理想の「生きる」なのか、どうしたら見つかるのか分からないからいろんなことを詰め込んでみるんです。やってみれば、なにをそんなに焦って探しているのかわかるでしょう、見えるでしょう。見えなくても、消去法で消せる選択肢がひとつ見つかるんです。それだけでも成果かもしれないし。今年を過ごしてみてまた一年後考えてみよう。

 

あと大切なことは今年私は本厄の数え年で25歳です。

お祓いとか行っといたほうがいいのかな…

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

 

ミュージックソンとアルピーと、ついでに乃木坂工事中

 

どうもこんばんは。

 

ニッポン放送で24日の正午から25日の正午まで24時間通して生で放送されるラジオ番組「ミュージックソン」。

今年はメインのパーソナリティにオードリーでリトルトゥースの私はもちろんワックワク。ゲストには南キャンの山ちゃんが出るなどお笑い好き、ラジオ好きにはたまらない至福の時間。

 

しかも、深夜には三四郎のコーナーにアルピーがゲスト出演。過去の伝説的な番組、「アルコ&ピースのANN」の復活を期待させる感じ、たまらない。過去に「三四郎のANN0」にゲスト出演したこともあるアルピーは「コントゴーレム」としてのおなじみの楽屋コントの猛威を奮ったことも。

そんなアルピーは「エチュード」のクリスマスプレゼントとして平子さんの「平子った」楽屋コントはいつにも増して強烈に。あのサイコパスな世界観、それを煽っていくリスナーからの生放送特有のリアクションメール。アルピーのANNが懐かしい。

 

ちなみにアルピーは一昨年のミュージックソンで三四郎と同じ深夜の2時間を担当。その時のメールテーマは「教えて!あなたのクリスマス」と「探せ!伝説のハチミツ」というもの。

言いたいことはわかりますよ。前半はいいでしょうよ、わかりやすいテーマよね。後半はどうなのよ。伝説のハチミツって何?これはどうもゲストの歌手の喉を気遣ってということらしいが本当にサイコパス。ラジオでハチミツ探すってなんだよ。最高かよ。

これは2年前の話ね。

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話は今月24日の日曜日に戻ります。

ミュージックソンの裏のテレビでは、深夜に「乃木坂工事中」を放送。

内容は乃木坂メンバーの理想のクリスマスを再現して発表するというもの。その中でアルピーと毎週金曜日にFM FUJIでラジオ番組「沈黙の金曜日」をやっている中田花奈さんの作品がこれ。

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「本日のテーマは‘’教えてあなたのクリスマス‘’」と言うもの。

ラジオのハガキ職人に憧れがあると言う中田さん。完全に重ねてきてるね。いいね、ラジオ愛、アルピー愛に溢れてるね。たしかに沈金の職人さんは面白い人が多いからな。

 

とそんなことにウキウキしていると、ミュージックソンも終わりに。

24時間のエンディングにはオードリーが生放送中に起こったことを基にした漫才を披露。昨年のパーソナリティの斉藤由貴さんが顔を出さなかったをいじるところから始まって、ゲストに来た人たちへのいじり。いやー面白かった。興奮してる2人の感じが取れて、普段のネタ番組とは違ったオードリーの漫才は最高だった。

 

なんかラジオって文化は本当にいいね。

もう今年も終わりね。

カーボーイのMー1も終わり、ヒムペキグランド大賞もダイナマイトエクスタシィも終わり、あとは31日の年越しの24時台三兄弟の番組を待つばかり。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

 

直感、信頼、頭がいい、白黒はっきり

 

どうもこんにちは。

 

なんだこのタイトルは。

単語を羅列させただけのタイトルは。なんか捻るのが億劫だったんだね。

普段は書くことを決めずになんとなく文章を書いてから、その後タイトルをつけるんだけども、今日はあらかじめ書くことを決めてるから、こんなタイトルになっちゃった。

 

ふと、最近頭のいい人と話をしていないなと思う。

こう言うと周りの人間を見下しているように取れてしまうかもしれないけど、当然そんな喧嘩を売るようなことを言いたいわけじゃない。

私が思う「頭がいい」というのは偏差値だとか、知識量だとかそんなことじゃない。

 

まずは直感でものを判断する人。そして、その直感が出した判断までの筋道だった思考をする人。それを言語化できる人

というのが私が一緒に話をしていて頭がいいなと思う人。

 

思考した結果で物事を判断する人が頭がいいと世間的に言われるけれども、私は真逆の人のことをそう思う。

世間的な「思考→判断」型人間の方がたしかに正攻法だね。思考による根拠のあとに判断した結果が来るから、説得力もあるし。まあ、共感があるかどうかは別にして。

一方、私が頭がいいと考える「直感→思考」型人間はその人の実体験や原風景に依拠しているから、思考的な根拠はこれからなのになぜか自信を有している。 ここが不思議だ。そして、その自信にそそられている。

 

ただ、古今東西の哲学者は後者、つまり私が支持する「直感→思考」型人間が多いのではないかと思う。会ったことないけど。彼らと私の唯一の接点は彼らの著作に触れることだ。そして、読みながら彼らの思考の軌跡を一緒に辿っていくことだ。その著作がどういった経緯で書かれているのかってことよ。

もし、哲学者たちが前者ならば、筆を取る前に思考が完成し、判断がされている状態になる。こうなれば、彼らの著作は思考の紀行文でしかない。ただの振り返りだ。読み手は安心したガイドに任せられるが、一緒に獣道に迷い込んだり、近道を見つけたりという刺激はない。

後者であれば、筆を取るときには結果は出ている。行きたいところは分かっている。しかし、そこにどうやって向かうのか、これから考えなくてはならない。読み手の私達は哲学者さえも初見の道に誘われるんだ。これは不思議な体験だと思う。はとバスでこんなことをされたら堪らない。

 

前者と後者、本を読んだときに感じる刺激はどちらに由来するのか。

当然後者だ。だからこそ、難しいんだ。

だって、道筋まで分かってたら、簡単に噛み砕いて道しるべを記してくれるもの。彼らさえも迷うから途中で私たちがついていけなくなる。だから、私が直感的に哲学者は「直感→思考」型人間だと言うわけよ。こういったタイプの人間は頭のいい人なんだろうと。

 

で、私が会話をしていない頭のいい人の話にもどるよ。

「直感→思考」型人間との会話で面白い思うのは、本人も言いたいことが分かっていないところを一緒に探していくことだ。私が彼らの発言に「?」と示すと一生懸命換言して理解を促してくれる。しかし、換言した本人が今自分が放った言葉に「?」を示す。おそらく言ってはみたものの自分でも違うと感じた。この違和感は言葉にしないと本人も分からないことがある。そのときに探し出した言葉だからね。

これを一緒に探していく探索がたまらなく面白い。時々私には、ゴールが飛びすぎてて、付いて行っても平気か?、とも思うけど、本人はどことなく湧く自信を持っているからいいんだね。そして、付いて行って間違いだったことは、どんなに遠回りをしたことはあっても、ない。

 

彼らの直感はどこで養われたのか。

私は彼らの行動力と思考量が共通してないかと思っている。

 

頭のいい人はいろんなものを見聞きしている。結果、知識量がある。だから、世間的な頭のいいの定義ももあながち間違いではないのかも。ただ、知識量が多いから頭がいいはここでは成り立たない。頭がいいから知識量が多いしか成り立たないよ。

それから、くだらないこともとことん考えている。いろんな方向に根を伸ばして探っている。話をしていて、持ってくる具体例や根拠の飛び方がすごい。そんなところから持ってくるのか、と驚いて納得させられる。

 

こう言う人が大抵話していて、頭がいいな、面白いなと思う。

 

さて、こういう頭のいい人と会話したいな。

何についてでもいい。

例えば大仰に、これからどう生きるか、資本主義の終焉でもいいし、サザエさんちびまる子ちゃんどっちが好きか、なんかでもいい。

 

ちなみに私は思考的な刺激が欲しくなると頭のいい人と頭のいい人が頭のいい人について対談している本を読み返してみたりする。

 

「知の技法」入門

 

これは一周読んだだけじゃ分からないけれど、三周目くらいに、対談している彼らも分かっていないことを分かり合おうとしているんだということに気付く。四周目にお互いが分り合いつつあるのが分かる。五周目に何が分かったのか分かる。といった具合。

読後にはすっごい気持ちいい快感があったな。

 

とにかく、私は頭のいい人からの刺激に飢えてるんだ。

その頭のいい人はこういう人だよ。ってことです。

 

わたし自身も書きながら、頭のいいってのはこういうことってのは分かってるんだけど、どうしてそうなのか、本当なのか、ってことを思考したんでいってみれば、後者的な書き方のブログですね。

 

おや、てことはわたしも頭がいいのかい?(笑)

というわけで、この定義はわたしも頭がいいと開き直るか、誤りを認めるかのどちらじゃないとパラドキシカルな感じだね。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

 

  

思っちゃったんだから書いちゃう…Mー1グランプリとか諸々をあーだーこーだ

 

どうもこんにちは。

今日は時勢遅れとか関係なく書きたいこと書きますね。

ま、いつも書いてるか。

 

まずはMー1ね。

ジャルジャルは分かれるでしょうね。

私はすごく好きでした。笑いました。センセーショナルでした。やりたくなっちゃうね、あのゲーム。

ただ、私は去年の一人漫才のネタの方が好きでしたね。
次はゆにばーすだ。いいコンビだよな。好きです。はらさんと名人の温度差がいい具合にボケとツッコミの関係を作ってますね。面白い。2人の「ニン」が表れてますね。

とろサーモンと和牛ね。

「旅館の女将」という設定が被っていてのに、女将とお客でボケとツッコミが逆でそれぞれがそれぞれ面白かったな。

和牛は一つ一つのボケをしっかり振って、回収するいい構成の漫才。旅館よりもウエディングプランナーの方が作られてて、順番変えたのかなって勘ぐる。とろサーモンの旅館の方が先だったもんね。

とろサーモンはボケの質が非常に高い。また、それをツッコむ間もいい。ちゃんとボケで笑えてから、ツッコミでも笑える。ただ、いきなり乖離的なボケがくるとついてこれる人はいくらいたのかなとも思う。

あとの人も面白かったですね。まあ、印象的なものだけをピックアップして。

 

さて、もう一丁お笑いの話。IPPONNグランプリ。

ホリケンの大喜利はパンチがあるよな。若林の回答もらしくて好き。大喜利ってその人と回答のマッチ具合が相乗効果をもたらすんだよな。同じ回答を違う人が言っても全然面白くないんだよな。ホリケンが言うからあの破天荒が面白い。ジュニアが言ってもちんぷんかんぷんなんだな。不思議だ。

個人的にはカミナリのタクミくんの健闘ぶりに熱くなったな。

 

さて、ちょっと前に放送が終わった「監獄のお姫さま」ね

ここに来て伏線の回収が心地よいこと心地よいこと。計画にずっと参加してしてないのに回想シーンでの存在感が強かったリンちゃんがここできてくるとはね。

そして、先生がアドレスを間違えて登録しちゃった馬場かよに代わってみんなを招集したシーン。黒づくめの格好ね。それを見た馬場かよの一言「さ、そり?」ね。「女囚さそり」だ。そっくりの格好だ。これって満島さんがヒロインを演じた園子温映画『愛のむきだし』の結構重要なシーンのオマージュにもなってる。すごいね。クドカン、ここまで見てたんだ。「角刈りにしてちょうだい。」笑ったな。

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もう一度、1話からみたいな。きっと今だから気付く伏線があるんだろうな。

 

最後は今週はスペシャルウィーク

今現在、TBSラジオではアルコ&ピースのdcgを放送中。今日は生だって。メールテーマは「ボイパ」と「キノコ」だよ、わけわかんないね。サイコパスリスナーのぶっ飛びぶりが楽しみだ。

寝れないなぁ…

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では、こりゃまた失礼いたしました。

 

 

で、「監獄のお姫さま」をもう一度

 

どうもこんにちは。

 

前にもお話ししましたTBSのドラマ「監獄のお姫さま」があと2話で終わるというところに来て、ここまで観てきてクドカンファンとしては本当に冥利に尽きる作品だなぁ、とつくづく思うわけですよ。

sascoca.hatenablog.com

 昨日の放送だって、キョンキョン松田聖子を歌ってるってちょっと80年代アイドルファンとしての感動もあるし、のぶりんが忍ちゃんをのぶりんって呼んでるし、あー赤いセーターの女じゃん、え?イボリーじゃん、獄中で馬場かよたちが観ているテレビから今にも「具がおーい!」って聞こえてきそうだよ。

わかりますか?え?わかりません?もー、じゃあ…

 

わかる人だけわかればいいです

 

というこの発言がこのドラマをもっとも面白くし、もっとも視聴率から遠ざけているんじゃないかと思うんです。

クドカンの笑いってこういう感じがあると思うんですよ。

それはおそらく舞台の影響ではないかと。これを少し考えてみました。

 

舞台の空気感って客席と同化した空間だけに、見てる我々に役者さんの息遣いが伝わるのはもちろん、役者さんにも我々の脈が伝わってるんです。だから、その場でしか生まれないものを共有しあえる。最近は舞台も衛星放送なんかでやってますが、全く異種の共感があるんです。

「今、同じ空間で同じ空気感を共有しているみなさんはわかりますよね、これ」っていうアドリブとか間が生まれる。

これが舞台版「わかる人だけわかればいい」の原理です。

誤解しないでください。決して分からない人を見下したよな感覚では無いのです。

同じ空気を共有してないなら、わからなくて当然の感覚なのです。

 

クドカンが舞台をやる中で染み付いた「わかる人だけわかればいい」がテレビドラマでも自然と出ている。

思えば、私も大騒ぎしてブログにしましたが、第1話を見て多くのクドカンファンは「マンハッタンラブストーリー」思い起こし、共通点を指摘しました。

2話以降、まるでクドカンがそれの寄せてきたかのように次々にキャスティングや役名を「マンハッタンラブストーリー」と重ねた脚本を上げていきます。

この時、ネットやツイッターの中で、私たちはクドカンと(彼がネットの反応を見ているかどうか分かりませんが、少なくても評判を制作側から聞かされた時に「マンハッタンラブストーリー」との類似の指摘は耳に入っているでしょう)「マンハッタンラブストーリー」を知っているもの同士の同じ空気感を共有しているのではないか、と。

 これが舞台特有の空気感の共有と同じ原理なのではないかと。

 

こうして、舞台版「わかる人だけわかればいい」がテレビドラマの中で成立しているわけです。

共有出来ている人はとんでもなく楽しいのですが、共有出来ていないとさっぱりなわけです。

 

まあ、だからなんだと言われちゃえばそれまでなんですけどね。

 

テレビドラマが世相を反映するシーンはいくらもあります(今期も「このハゲー」とか「忖度」とかよく耳にしましたね)が、テレビドラマが過去の(そんなに視聴率n恵まれなかった)作品をこんなにフーチャーするなんてのはなかなかないんじゃないかな。そこも面白い。

 

舞台の楽しみ方をこんなにすんなりとテレビドラマに取り入れたクドカンのユーモアさが際立ちますね。テレビが一方通行から双方向に変わりつつあると言われる昨今、その双方向の在り方すらを変えているような気がします。

 

まあ、こんなことを考えずにあと2話どうなるのか、楽しみましょう。

距離が一段と近くなった馬場かよと先生。これからどうやって先生が復讐に参加するようになるのか、 姫の無実は晴らされるのか。たのしみだなぁー。

 

あと、出てきてないのは、エモやん、ベッシー、船越、土井垣さん、マスターかな。

わかる人だけわかればいいです。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。