本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。茅ヶ崎の海辺からコカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

AM1:00-3:00

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

一中通りの散歩録

 

どうもこんにちは。

 

私はわりと生活の中に読書というものがある方で、出かける時も必ずカバンに2冊は入れている。ちょっと難しい学術書と気楽に読める小説。最近は、「太宰治を全部読む(太宰治を全部読む)」と云う企画を始めたので、太宰の全集を入れていることもしばしば。

紙ベースの本が停滞し、電子書籍が幅を利かすこのご時世に、本を3冊もカバンに入れるなんて、時代錯誤も甚だしい。ましてや、情報としての価値が重んじられ、自己啓発の類が本屋の棚を侵略する今の時代に、学術書に小説だ。まして、太宰なんざ流行りもしない。

それでも、やっぱり本を開きたい時に、紙の手触りで開きたい。

 

自己啓発本は読まない。理由はいくつか。

まず、人に啓発されて動き出すくらいなら、動かなくてもいいと、思ってしまう。

自分が動きたいから動くのだ。なのに「すぐやる」とか「続ける」とか、人に言われないと上がらない腰なら、上げなくても良いではないか。

で、自分から動こうと思う。そう思った人が、方法を人様から教わろうなんて、本当に動く気あるのかい?と思ってしまう。動きたくなって、はじめにすることが本を読むと云うのはいかがなものかと。動きたくなったら動くだろう。街に出るなり、手にしてみるなり、書いてみるなり。じっと座って本なんか読んでたらもどかしくてしょうがない。なんせ、動きたいんだから。

方法なんて、動き出してはじめて考えるものだろう。そもそも、試行錯誤して自分のやり方を見つけていくことにこそ、動いていくことの一番大きな意味があるのに、動きもしないのに方法も何もなかろう。

 

そう云うわけで私は自己啓発本は読まない。

 

ただ、知り合いに面白い本と渡されたのが、この類だった。

効率よく勉強する方法を書いた本。どうして、あなたの方法が私にも効率がいいなど言って、1300円も取れるのだろうか? あなたと私では頭蓋骨の中の脳みそが違うのに、などと悪態をつきながら、ページをめくってみた。

目次に並んだ嘘くさい項目の中に「始める前に20分散歩する」というものがあった。他のものの嘘くささが際だったせいか、これだけは本当のことかもしれないと、なぜか思たのだ。もっとも、私が歩くのが好きなせいかもしれない。

 

まあ、信用もしていない本を眺めるのに5分も使ってしまった。その5分を取り返すつもりで、ひとつ散歩してみようと、始めて2年目に入るドイツ語の学習の前に実行してみることにした。

出勤の前に30分から40分の時間を使って習慣化した語学学習。その前に20分、散歩してみることに。もちろん、携帯など持たず、コートの右ポケットに財布、左ポケットに文庫本。身軽に歩く。

 

どうせ歩くなら、知らない道を歩いて、新しい景色を見ないともったいないという気がして、海沿いへ出て江ノ島方面へ。しばらく行くと左手にあるのが、一中通り。自転車で走り抜けたことはあるが、ゆっくり歩いたことはない。ちょうどいいので、一中通りを駅方面へ。茅ヶ崎でも高級と言われている住宅街にはレプリアかのような家が立ち並ぶ。オシャレなバルコニーでは今にもロミジュリが始まりそう。体がホカホカ暖かくなる。なるほど、勉強していて乗ってきた時と同じような感覚になる。

 

道すがら、初めて聞いたコーヒーのロースターを見つけた。「I don’t know coffee(i don't know coffee roaster)」さん。小さい店から漂う焼きたての珈琲の香り。これはここまで歩いてきた甲斐がある。早速、お店の中へ。大きな焙煎機も、店内の装飾も、瓶に並んだ数種類の豆もいい。

色々眺めて、深煎りのグアテマラを購入。早く帰って飲みたくて、そそくさと家路を急ぐ。これだけ収穫があれば、散歩した甲斐がある。いやはや、滅多に読まない自己啓発本もたまにはいいことを書くではないか。

 

帰って、豆を挽いて、珈琲を淹れる。刺激のないコクのある苦味の後に舌に残る甘み。美味しい。何よりも珈琲を淹れてる最中、特に蒸らして時の香りが気持ちいい。

淹れたての珈琲とともに机に向かって勉強を始める。今日は散歩もしたし、さぞ捗ることだろうと思って時計を見ると、もう家を出る15分前。20分のつもりの散歩が1時間近くも歩いてしまったのだ。

とんでもない。結局、今日やる予定だったことは半分も出来ないではないか。誰だ、勉強する前に散歩しろなんて言った奴は。

 

結局、自己啓発本を信じてしまったが故にこんなことに。

やっぱり私はこの手の本を信じない。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

 

創作後記ー習作「創るということ」

 

どうもこんばんは。

 

前回を含め、前中後編の三部で拙作「創るということ」をご高覧いただきました。お付き合い頂きましてありがとうございました。

自分が振り返って読んでみても、拙い点ばかりで笑えてくるものです。

 

本当にありがたいことに感想のコメントもいただきました。

思わずハッとするご意見で、ありがたいばかりです。あんなものを読むだけでも時間の浪費なのに、コメントを書く時間まで使わせてしまったと、なんだか申し訳ない気すらしてきます。

 

そんなありがたい言葉の中で、とりわけ自分の創作と向き合うのに契機になったのが、「描写が過剰だ」というコメントです。

この指摘は自分の中では意外ででした。というのも、書いてる時に一番筆が乗ったが指摘のシーンだったからです。しかし「筆が乗っている」=「内容が伴っている」ではないので、調子のよいつもりでたくさん書けば書くほど、内容のない文章が作品全体のほころびを広げているかもしれないわけです。

 

自分が調子のよいつもりでいた描写が読者には過剰だったということは、どういうことか。

この習作の反省の核の部分を考えている気がします。

文章における描写は美術で言えばデッサンみたいものです。それが過剰だった、つまりそれに重きがいってしまったということは、白いスケッチブックに鉛筆と消しゴムでありのまま書いただけ、ということになるのではないかと。描写がありのまますぎて、そこから作品の空気感や登場人物たちの言葉にしない機微が伝えられていないということかと。

描写が描写でしかない。ありのままの絵面だけを伝えるのならば、ご指摘の通り、そんなに過剰でない方が読者の想像力も相まっていいのかもしれない。

なるほどな…、やっぱり、人に読んでもらうと為になる。

 

過剰だと思わせる「ありのまま描写」でなく、より空気感を伝える「雰囲気描写」を心がけてみよう。

さて、私にそんなものが書けるのかしら。

 

今回の作品をかいてみて、振り返って、思うことは、私はまだまだ作品と対峙する姿勢が未熟だということです。

書きたいことの輪郭部がぼんやりと滲む程度で、ぜんぜん形になっていない。このもどかしさ。どうしたら、いいのか。何が書きたいのかもっともっと向き合う前に来てしまった締め切り。不完全燃焼。

このもどかしさが、次回の習作への私のモチベーションになっています。

もっと勉強して、もっと書きたいことに向き合って、また今回のテーマに挑みたいと思います。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

習作「創るということ(3)」

 

どうもこんにちは。

 

前回、前々回と2回と続けて読んでいただいております習作の後編です。

習作「創るということ(1)」 - AM1:00-3:00

習作「創るということ(2)」 - AM1:00-3:00

 

ありがたいことに読むだけにとどまらず、感想、ご意見をいただきました。本当にありがとうございます。

私が書きたかったことが書けているのか、それが読んでくださった方にお伝え出来ているのか。そもそも、そのために私は書いているのか。

 

   昨日、演奏会で聞いた「牧神の午後」の気怠さを体に残したままCDと一緒にレッスンスタジオにいつもより二時間早く入った。流石にこの時間には先生も来ていなくて、誰もいないスタジオでウォームアップがてら、「牧神の午後」をかけながら、体を動かしてみた。スタジオの四隅に吊るされたスピーカーからスタジオの空気に溶け込んでくる、ゆったりとまどろんだフルートに体を預け、頭を空にし、スタジオを舞った。体の芯がなくなり、体と外気の境をなくした。ステップもターンも音楽の一部のように生まれて、つまり、ドビュッシーが振り付けさえも楽譜に書き込んでいるかのように舞った。気持ちよかった。というのも、後から思い出した感覚で踊っているこの時には私はそんなところまで意識がいかない。上に伸ばす腕はどこまで伸びていくし、後ろに蹴り上げる足はつま先のずっと先の空気を蹴り上げた。いつものスタジオが無限の広さに続き、天井がどこまで突き抜けた。無限のスタジオを私のターンはどこまでも回転し、私のジャンプはどこまでも跳ね上がった。

   しばらく、スタジオの扉が開いたことにも気付かなかった。ふと、鏡を見た時に先生が扉に寄りかかって見ていた。腕を組んで、左足を右足の前に組んで立っている。このポーズはいつも発表会のセンター決めのオーディションの時にするポーズだった。
体が今までの自由をなくして、急に動かなくなり、鏡越しに先生に軽く頭を下ろして会釈をしたが、急いで、体を先生の方に振り返って向けて、腰を折って挨拶をした。そのあと急いで、CDを止めた。
   「まだ時間じゃないんだから、好きにしてればいいじゃない」
   「すいません」何を言っていいか分からないから、とりあえずとっさに謝った。
   「謝ることなんかないじゃない。ドビュッシー好きなの?あんまりうちのスタジオじゃこういう曲やらないもんね。本当は私も前衛的な曲とかやりたいんだけどね。」
    扉があいて、生徒の一人が入ってくる。「おはようございます」と芸能人みたいに夕方でも「こんばんは」とは言わない。その子に続いてぞろぞろと別の子たちが入ってくる。時計を見ると、レッスンまであと一五分だった。みんな別の場所で体を温めてから、スタジオに入るのだ。そして、体を温めてきた生徒たちは鏡の前で、先々週の与えられた振り付けを丁寧に仕上げていた。今日がセンター仮決めのオーディションの日だとすっかり忘れていた。

 

   やっぱり原田はカレーハンバーグドリアしか食べない。
「ご注文繰り返させていただきます。シャインマスカットのミニパフェがお一つ、ハンバーグカレードリアがお一つ、ドリンクバーがお二つでお間違い無いでしょうか?」
   今さっき、原田がした注文を繰り返した。このパートのおばさんらしき店員さんは水曜と木曜は必ず放課後いた。木曜はレッスンのないの日なので、私が原田がここに来ることが多く、このおばさんと互いに顔見知りになっていてもおかしくない頻度で会っていた。
「そのさ、お前のハンバーグとカレー入れ替えるのいい加減にしたら?」
「いいじゃん。」
「いやでも、毎度店員さん引っ掛かってるてるような顔してるよ」
「だってさ、カレーはハンバーグにかかってるんだぜ。ドリアにはドリアでチーズの下にホワイトソースがかかってるんだから、カレーハンバーグとドリアだろ?ハンバーグの上にデミグラスソースがかかってて、ドリアのチーズの下にカレーがかけてあったらハンバーグカレードリアだよ。でも、ここはそうじゃない。」
   原田はこんなところが時々変に頑固なやつだった。
「このあいだの演奏会さ、」
「いいよ、どうせお前は来ないと思ってたから」
「いや、行ったんだよ」
「え?お前来たの?」
   とても無理矢理チケットを押し付けた人間の発言とは思えなかった。
「行ったよ。で、ドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』ってのがすごくよかった。最近、それで踊りたいと思ってる」
「へえー、よりによって俺が目立っちゃう曲じゃん。そんなによかった?俺のフルート」
「フルートの良し悪しは私には分かんないよ。でも、あの日、帰り道にCD買ってずっと聞いてるんだ。あの曲だと、なんだか身体が自由に空気と溶け込んで、いつもしない動きが浮かぶんだ。」
「東勇作って知ってるか?」
「いや、知らない」
「調べてみなよ。お前のテリトリーだから」
   原田はドリンクを取りに席を立った。私はスマホで「東勇作」の名前を検索した。手っ取り早いWikipediaには明治生まれのバレエダンサーだということが書いてあった。仙台出身の彼は、日本におけるバレエ草創期の先駆者的な人物だった。そして、彼が創立したバレエ団で初めて舞台にかけた作品が「牧神の午後への前奏曲」だったらしいのだ。自分が演奏する曲についてこんなに調べているところに原田らしさを感じた。
「調べた?」戻ってきた原田の手にはカルピスソーダがギリギリまで注がれている。
「すごいよな、当時の仙台なんてきっと何にもないぜ。そこで勉強してさ、東京出てきて住み込みで勉強して、日本のバレエを作るんだぜ? 」
「初めて聞いたけど、すごいな、この人」
「お前さ、毎日毎日一生懸命踊ってるけど、こういう歴史とかには興味ないわけ?」
   私は踊ることに興味があるだけで、歴史とかバックボーンとかには疎かった。
「踊ればなんでもいいと思うからな、私は」
「ふーん、そうか」
原田のグラスのカルピスソーダは空になり、ズズーっという音が店内に響いた。

 

    初めてスタジオで「牧神の午後」を踊った日から、毎日のように誰よりも早くスタジオに入り、何度も何度も「牧神の午後」で踊った。ある時から、先生も早くに来るようになった。最初はずっと僕が何度も踊るのを鏡の前でストレッチをしながら見ていたのに、「私もちょっと踊りたいな」と言って広いスタジオを舞って見せてから、私たちは二人で交互に踊るようになった。私が踊るときは先生が鏡の前に座り、私を見る。先生が踊ると私が先生を見る。この時の先生はいつもの先生と違い、何か分からないけど、解き放たれていた。レッスンの時と違う踊りをしていた。
「先生、東勇作って知ってますか?」四回目に私が踊り終えた時だった。
「この曲を最初に踊った日本人ね。」
「はい、彼もやっぱりこの曲を聴いて、体が自由になったんでしょうか?」
「うーん。それは私はわかんないけどさ、でも、今よりも情報がない時代に今のバレエを築くんだから、その情熱はすごいよね」
「踊るってどういうことですか?」
   脈絡のないとつぜんの質問に先生は驚いた様子も見せなかった。
「君さ、この曲で振り付けしてごらんよ」
   この言葉の方が脈絡がなくて、私は驚いた。
「自由にやりたいようにやりなさいよ。この曲で本当に自分の思う踊りができたら、もっと君が思っている以上のものが見えてくると思うわよ」

    次の日から、今まで「牧神の午後」で自由に踊っていた私は、振り付けをするという行為のために体動かなくなっていた。この曲を聞いても急に体が解放されなくなったのだ。それでも、毎日聞いて、毎日この曲に体を預けてみた。私に振り付けをするように言った日から、先生は時間通りにしか来なくなり、レッスン前の「牧神の午後」の時間は、また一人になった。開放感を失った時間は退屈で苦しくなった。東勇作はどんな風にしてこの曲と対峙したのだろう。何日も体が動かない日が続く。


   ある日のレッスン終わりに私は先生に呼び止められた。
「あの曲の振り付け進んでる?」
「先生、振り付けなきゃと思うと体が動かなくなるんです」
   先生はそんなことが、さも分かってたかのように笑って、
「バレエは形態模写じゃないのよ。動きに意味なんかつけてもしょうがないの。振り付けに意味なんかないの。でも、それを見ると客席はため息をつき、踊っている当人は舞台じゃないところへ行くの。その瞬間が気持ちいいんじゃない。ある? そういう経験? しなさい」
   私は先生の言ってることに原田がいう「音楽は意味付けをする行為」だという理屈を思い出した。それと同時には初めて横浜でみたプリマのことを幼い頃の記憶から引き出した。

   東勇作がどんな風にこの曲を踊ったのかはよくわかっていない。映像もないし、資料もそんなに残っていない。ニジンスキーという人のことを調べて、創ったらしいということがわずかに残るくらいだった。私は意味付けするとはどういうことか考えてみた。始めてこの曲を聞いた時の感動を、初めてこの曲で踊った時の広がりを思い出そうとしても思い出せない。

 

苦しい。

 

   いつのまにかそんな風に踊っていた。踊ることが苦しくなった。もうすぐでこの曲が嫌いになりそうだった。フルートが疎ましい。まとわり付くのを振り払いたくなる。何をしたら、自分が満足するのかわからないのに、私は踊っている。踊れている感覚をなくして踊っている。それは踊るという行為のなのか? 私は踊ることと表現することと、そして、創ることとがわからなくなっていた。

   いつものようにレッスン前に「牧神の午後」で踊っていると、先生がスタジオに入ってきた。今できているところを見せてみろと言う先生に、私は微塵も出来ていないことを告げた。そして、今自分が苦しいことも話した。先生に振り付けをするように言われてから、二週間が経っていた。
「踊ることが苦しいの? それとも創ることが苦しいの?」
「多分、この曲だと苦しくなるので、踊ることじゃなくて、創ることなんだと思います。」
「じゃあ、もすぐ出来るわ。苦しまずに形にしたものを持ってきたら、どうしようかと思ったの」
   先生は笑ったが、私にはますます分からない。
   ただ、先生は私が苦しんでることを正しいとは思っているようだった。

 

  完

 

 

最後、私と先生が「創る」ことを通して、何を感じあったのか、どうしても私(書いてる人間)には見えてこなかったので、なんだかこんな終わりになりました。

ここまで、ありがとうございました。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

 

 

習作「創るということ(2)」

 

どうもこんにちは。

 

先日、掲載しました習作小説の中編です。

習作「創るということ(1)」 - AM1:00-3:00

 

   目の前の壁は一面鏡で自分の姿を確認しながら踊る。汗だくの私が先生に指先を直される。スタジオには十数人いるが、全員が同じ動きをズレることなくしている。鏡に映ったその映像は皆が同じ動きを一様にしていて少し気味が悪い。しかし、その動きが寸分違わず揃う一瞬だけ、とんでもなく美しく、身震いする。そんな瞬間は一瞬なので、すぐに何もなかったようにまた気味の悪い映像が鏡に映る。

「プリーエの時にアラスゴンドの意識を途切れさせない。肩を上げない。肩甲骨を広げて。」
   私の周りをゆっくり一周歩きながら、厳しい目つきで私を見る先生の畳み掛けるような指摘を一つ頭にとどめる。毎日のレッスンが必死だ。何が変わったわからない小さな改善を一つ一つ重ねていく。その延長のずっとはるか先に憧れたプリマがいるのだと思っていた。自分の中で、プリーエの時のアラスゴンドの意識を変えても目に見える変化はわずかだし、肩を上げない意識をしても何センチも肩を上げているわけではないからそんなに違いはない、肩甲骨だってはっきりわかるほど広げられるわけではない。それでも、やっぱりその小さな改善に必死だった。すでに先生は私の周りを離れて、隣の生徒の周りに歩いてた。そのまま何も言わずに次の隣の生徒を見ていた。一面の鏡に汗だくの私たちが映る。この中になぜ踊っているのかわからずに体を動かしている人が私以外にいるだろうか。そんな簡単なことも分からずにこんなに体が美しく動くだろうか。手の指先まで行き届いた神経の張りが頭の先、足の指先までずっと繋がっている。しかし、私は体を美しく動かしたいわけではない。あの日観たプリマが舞う空間が目標だった。それが私が踊る理由になりうるのか、周りのみんなもそれを目指して踊っているのかわからなかった。そんなことを気にしているのも自分だけかもしれなかった。
   そんなことを考えながら、体を動かしていると、また先生が私の隣に立っていた。私は直接先生を見ずに鏡ごしに様子を伺った。先生は黙ったままジッと私を見た後、何も言わずにパンパンと、手を二つ打った。
「はい、じゃあ休憩して。」
   みんなが散り散りに水分を取りに行く。
「このあと軽い振り入れするからね、再来週までに覚えてきて。それでセンターの仮決めするから」
   スタジオ内の空気が一瞬で変わった。みんな、飲み物を飲む手を一瞬止めた。「センター」という響きに敏感だった。

 

   高校の最寄りからバスで一五分ほどのところにある市民会館のホールは、客席数が800程度で、高校生が部活の演奏会に使うのにちょうど良いらしい。オーケストラ部に所属する原田が無理やりチケットを押し付けて、来いという市民会館の客席には空席がまばらにあるくらいで程よく埋まっていた。普段はバレエで舞台に立つ私が、こうして人の舞台を観に来ることはさほど多くない。開演十分前に席ついて、プログラムに目を通す。となりの主婦らしき女性二人組は部員の保護者なのか、練習で帰りが遅くなっていた息子の話をしている。
   私が生まれる前からこの土地に立つホールは去年、改築工事を終えたばかりで、見た目は真新しい。建物の中も綺麗になっており、昔、お茶の間で人気の落語家が出演するというので観にきたときに感じたボロい印象は一新されていた。その時の「文七元結」というネタのことを思い出しながら、どうして、横浜で見たバレエには感化されたのにここで観た落語には感化せれなかったのか考えてみた。今頃、落語に感動して落語家になっていてもいいはずである。それがなぜかバレエはやってみたくなるが、落語は一回見たきりでいい理由があろうと思う。体で表現するとか、昔から日本にあるとか、いろんな要素を考えたが、落語の古典性ではないかという気がした。落語にも新作という自分たちで創るジャンルがあることを知っているが、それでも大抵の落語というものは決められたことをやるものだと思っていたのだ。その一方で、バレエにはもっと自由に表現できる可能性が見られた。振り付けは与えられても、それをどう解釈し、咀嚼して、体で表現するか、バレエにはその自由があるように感じた。きっと私が落語を知らなかったせいでそんなことを思っただけで、落語にだってその自由はあるんだろう。だとすると、もっとバレエに惹かれた理由はわからない。とにかく表現する自由が私を惹き付けるのか。しかし、いくら考えてもどれもしっくりは来ない。私は踊ることをDNAに孕んで生まれてきたのかもしれない。そんなことを思いながら、全く関係ないこれから始まる原田の所属するオーケストラ部の演奏会のパンフレットを眺めていた。
   

    開演ブザーが鳴り、舞台上の照明が明転し、楽器を持った部員が袖から舞台上に現れる。最後の方に、細く小さな白いような棒を持った原田がいる。いつもファミレスで会うような顔つきはなく、真剣な目が真っ直ぐどこか遠くを見つめていた。その眼差しは私をこそばゆくくすぐる。続いて、指揮者が登場し、客席から拍手が起こる。指揮者が客席に礼をし、背中を向けると拍手は自然と止んだ。指揮者が振りおろす棒に合わせて金管のファンファーレが鳴る。

    大きなシンバルの音で目が覚める。一曲目のショスタコーヴィッチ「祝典序曲」から寝ていた。バレエを通しての音楽はいくらも触れてきたが、音楽そのものと直接は触れてこなかったから、、馴れないクラシック音楽に早くも退屈していた。腰を深くに座り直し、姿勢を正した。二曲目からは真面目に聞こうという心持ちのつもりだった。
   

   二曲目の始まり。原田の聞こえるか聞こえないかくらいのフルートの音がホールに溶ける。つかみどころのない音が落ちていく。その音はまた上り、また落ちていく。その抑揚に誘われて、オーケストラが優しい響きをフルートに溶かしていく。不安定な流れが客席に渦巻き、音楽が奥域を持って揺れている。その渦の中心に原田のフルートがあった。
私はこの美しさに固まった。体のどこにも力の入る場所がない。私は実態としての私を見失った。綺麗な音階を駆け上がるハープが合図だったかのように、ハープの弦が弾かれると体に張り巡らされた神経の感覚を取り戻すと、私はパンフレットに目をやった。

 

クロード・ドビュッシー作曲
「牧神の午後への前奏曲」(1894年)

 

とあった。
   音楽の持つ気怠さがホール全体を包み、それに浸る全員が心をドビュッシーに捧げていた。当然、、その先頭には原田がいる。原田の音を通して、捧げるのだ。ドビュッシーが見たもの、感じたもの、それをオーケストラを使ってどう聞かせたかったのか。ドビュッシーの鼓膜を共有しようとした。そこに感動があり、意味があった。原田の言うことが頭では理解できていなかったが、感覚では理解できた。

   

    この日は演奏会はラヴェルバレエ音楽「ダフニスとクロエ」をメインに、ハチャトゥリアンバレエ音楽「ガイーヌ」から「レズギンカ」をアンコールに終演した。どちらも馴染みのある音楽で退屈しなかった。
帰り道、駅ビルの中のCDショップに立ち寄り、クラッシックコーナーで「牧神の午後への前奏曲」を探した。ドビュッシー管弦楽のCDが並ぶ一角には「交響詩 『海』」と言うものはいくらもあるのに目当てのものが表題のCDはなかった。「交響詩『海』」が表題のCDの内容を吟味していると、一枚だけ申し訳程度のおまけみたいに収録されているものが一枚あるだけで、それをレジに持っていった。表紙は北斎富嶽三十六景を模したかのような西洋画チックなタッチの絵だった。

 

自分で読み返して、なんて稚拙でみっともないと思いながら、書き上げるのに使った体力を思えば、どこかで人目に触れて、嘲笑された方が、ゆくゆくは良いのだろうと思い、恥を承知で読んでいただいております。

時間がないのにこんなものを読ませるなとお叱りもあるやもしれません。本当に申し訳ないことです。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

 

習作「創るということ(1)」

 

どうもこんばんは。

 

先月末に公募用に書いた短編です。

3パートぐらいに分けて記録します。

ご忌憚のない意見、賜りたいです。

 


   幕が上がる。照明が灯る。何百という客席の視線が舞台に集まる。その視線の先に、私はいない。私の抜けた私の肉塊が、私を探し求めて、舞台上の異空間を漂う。
   私はその自分探しのことを「踊る」と言っている。

 

   5歳の頃、母親と母親の高校の同級生という人に連れられて、横浜で初めて観たバレエが私の人生を決めた。舞台上で、舞うその人は美しく、可憐で、舞台の板の上を翔ぶように滑りながら、私では決して、たどり着かない空間をうっとりと漂っていた。私もその空間で漂ってみたかった。同じ舞台の板の上なのに、私が立っても行き着くのは、けっしてあのプリマが舞う空間ではない。行けないとわかると、行きたくなった。漂ってみたくなった。

   ほどなくして、近所のバレエ教室に通い始め、近所の女の子達に紛れて、少しづつ漂い方
を学んだ。毎週火曜と金曜のレッスン日は幼稚園から帰ると、バレエ教室に行くまでの時間にステップの復習をしながら飛び跳ねては、バタバタするなと、母親に怒られた。
    小学生になり、クラスメイトが火曜の夜のアニメの話をすることにはついていけなかったが、あの日横浜で見たプリマには近づいている気がしていた。学年も進むと、私の生活はいよいよバレエが中心になりつつあった。その頃から、バレエは女性の世界だというステレオタイプを、未だに抱いていた父親は私の生活がバレエに染まるのをなぜか心配し、私のバレエの活動を支えてくれていた母親との間にいざこざが増えるようになった。。当の私は、いざこざの契機であるバレエに夢中で二人の険悪な仲に気づいていなかった。それを私に見せまいとした両親の優しさなのかもしれない。
   中学に入ると、すぐに両親は離婚した。母親に引き取られた私は母親のお陰で踊り続けることが出来た。HRが終わると、校庭で素振りしている野球部のクラスメイトを尻目に家路を急いだ。幼い頃のような火曜と金曜などと言わず、この頃には週に6日は当たり前のように踊っていた。レッスンが始まる1時間前には、皆がストレッチをし、体を温めていた。女の子しかいなかった私の周りは、同比率くらいの男の子も増えて、父親の杞憂を思った。本当の離婚の原因が父親の不倫にあることを知るのはもっと先だった。

   ちょうどその頃から、私は通っていたバレエ教室の先生の勧めで、東京の有名な教室に通うことにした。ある日のレッスン後、先生に呼ばれ、次のレッスンには母親を通れてくるように、と言われた時は何か怒られるのかとドキッとしたが、先生が母親に、私のバレエに対する才能をかっていることを、言葉を尽くして語り、東京の名門教室に通うこと、それは先生の後輩になることを意味するわけで、母親に目を輝かせて力説した。私は先生が私のことをそんなに認めてくれていたなんて知らず、驚いたが、母親の返事の早さにはもっと驚いた。

 

   中学の3年生から通い始めた東京の教室では、今まで認められていた私の踊りを皆が、私よりも幼い子達まで含めて、当たり前のように踊っていた。私は、地元で置かれていた私への一目を、逆に私の足元で踊る女の子に置くようになっていた。何よりもそんな年下の女の子が私よりも板の上で舞う自由度が高いのに、バレエを通じての初めて嫉妬を覚えた。それが今までのバレエとの向き合い方を変えた。私は東京の教室に通うようになって初めて触れた、意識の高さに感化された。その変化に母親はいち早く気付き、歓迎した。母親はバレエだと言えば、どんなことでも許した。

   しかし、意識の高さとは反比例するように、高校生になる頃から、踊っていて楽しいという感情が薄れていった。母親の喜ぶ顔、周囲の熱量、自分のいない、自分の知らないところで、ふつふつとエネルギーが熱せられ、バレエに対するモチベーションに変換された。踊っているとき、そこにいるのは私ではなかった。私は踊りながら、私を探した。しかし、踊っている私は私ではないのだから、私を探す私も私ではないのだ。

 

「お前が踊るだけで何人の『私』が出てくるんだよ。デカルトかよ」
   そう言って笑う男は、踊っていない私が唯一安定して存在できる高校のクラスメイトの原田だった。いつも何かをバカにしたように、でも、物事の真芯を捉えたような物言いをする男だった。
「楽しくないのに踊ってるってなんだよ。それも馬鹿みたいに毎日毎日さ。俺だったら、、途中で飽きるね」
   私が抱く踊ることに対する不安を原田は嗤って一蹴した。嗤いながら、今日は何食べようかなと呑気にファミレスのメニューをめくっていた。
「早く決めろよ。どうせいつものカレーハンバーグドリアなんだろ。そりゃ、もう飽きるとかいうことを超えてんだよ。」
「飽きるを超えるってなんだよ。なんかさ、その物憂げに思案しながら踊ってますってポーズに酔ってんのかね」
   原田がメニューをめくる手は止まっていなかった。
「違うよ。だから、あれだよ…、そのさ、そう、お前がそうやっって何食べるのか悩むのと一緒だよ。」
「どういうことだよ。」
「お前はそうやって、毎日毎日何食べるか悩むわじゃん。飽きてないわけ?」
「そりゃ、飯を食うのは飽きるとかそういうことじゃないだろ」
   原田の目がメニューから上がって私を見る。
「それだよ」私はその目をまっすぐ見つめ返した。「飽きることを超えた行為じゃないか」
「飯を食わないと死ぬ。踊らなくても死なない。以上だな。」

 原田の目が手元のメニューに降りた。その先にはいつものカレーハンバーグドリアがあった。
   いつも原田と二人で来るファミレスは、放課後の高校生、大学生にまみれていて、みんな同じような顔をしている。ただ、制服と私服という表層的な部分だけが高校生と大学生を区別していた。もっとも、大学生もみんな、女性は茶色のニットを首元まで、男性は縦縞のシャツを、それぞれ同じように着ていて、それが大学生としての制服のようだった。

 

どうして私が踊るのか。
   初めて横浜でプリマを見た時の感動を追っかけていたはずなのに、今はもう私が踊りたいという気持ちの依拠するところがそこではないような気がしていた。それでも、踊るし、飽きていなし、いっそ踊らない私は死ぬのかもしれない。そしたら、バレエも食事も一緒だ。踊らない私が死んだら、原田は飽きるを超越したものとしてのバレエを認めるだろうか。それを目的に踊っているわけでもないのに。

「お待たせいたしました。ハンバーグカレードリアでございます。こちらの器の方、お熱くなっておりますので、お気をつけください」
   店員が原田の目の前にカレーハンバーグドリアが届いた。
   私の目の前には、季節限定の栗をメインにしたミニパフェが届いた。先に取りに行ったドリンクバーのコーヒーは少し冷めてた。原田のメロンソーダも氷が溶けて、グラスの上で透明の層を作っていた。原田はそれをガサツに混ぜてしまう男だ。私だったら、混ぜないようにそっとストローを落とすのに。
「どうして、お前はフルート吹くんだよ」パフェのミントは食べないので紙ナフキンの上にどかす。。
「そりゃ、楽しいからさ。でも、俺はフルートに飽きる時はあるし、そういう時は部活も行かないよ。まあ、それが今日なんだけどね。それこそ、パフェのミントみたいなもんじゃない?」
「どういうこと?」
「なんというかさ、音楽は無駄なんだよ。それに意味を付けていくっていうかさ、大切なのは音じゃなくて、それを通して見つけた意味なんだよ」
   無駄なものに意味を付ける行為が表現という原田の考えが、私にはわかったような気もするし、分かっていない気もした。でも、パフェのミントがちょっと違うことは分かった。

 

読んでもらえただけでもありがたいことです。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

 

 

勝手に思って、勝手に言い訳

 

どうもこんにちは。

 

人生において目的と手段ってなんだろうかと思う。

生きるための仕事、遊ぶための生活、遊ぶための努力。

一生懸命になればなるほど、ある時、ふと逆さまになっていやしないかと、気付く。

途端にバカバカしくなる。

 

自分を満足させることが目的で何かを創りはじめても、気がつくと人からの評価を求めて、そのために書きたいものから離れていくことがしばしばある。そうなると、創ることが楽しくなくなる。

だから、人の目を気にせず創りたい。

 

と、いうことはSNSが爆発的な瞬速で広まった今日、よく言われている。

ただ、これは創作の奥の奥の根っこが持つ闇を見て見ぬフリしているように思う。そして、そのことは闇から抜けて太陽の陽を燦々と浴びる歓びを失ってしまうことでもある。

 

どうして、自分を差し置いて、他人を喜ばすことが創作の本質的な歓びになるのだろうか。

私は、自分の中だけにある世界を表に生み出すことはとんでもなく難しいことだと思っている。それは、他人からの評価を得る作品を書くことよりもはるかに遠いところにある。

 

創作においての闇とは何か。それは自分自身と向き合うことだ。

原稿用紙を目の前にした時も、鉛筆を削っている時も、私はこれからどんな自分と出会い、どんな物語を築くのか知らない。

書きながら、思索しながら、誰にも見せてこなかった自分と、つまり、私自身にも見せてこなかった自分を闇の中で探すのだ。そして、そんないるのかどうかも怪しい自分と出会う時、それを形にできた時、一寸先も見えなかった暗闇が煌々と光る陽の光に照らされるのだ。その光を浴びた時、この作品と向き合ってよかった、と思うのだろう。

 

しかし、やっぱりそれは他人の評価を超えた自分との中に生まれる光ではないかと、先のこととの矛盾を感じる。

 

他人から評価を得る作品を創る。作品を享受する人と向きあうこと。

自分の外の他人と向き合うことは知っているつもりになっている自分と向き合い直すことより簡単なことなのであろうと思う。

他人と向き合えずに、自分と向き合う闇から抜け出すことは出来ない。

自分を真に喜ばす創作のためには、他人の評価を得ることが出来る作品が創れなくてはいけないのではと思うのだ。そして、他人の評価のために創作の表層的な楽しみから離れてしまうことに耐えられなければ、暗闇の中で彷徨う恐怖にも似た苦しみと対峙できない。

 

大仰な物言いで、さも自分が傑作を書いたかのような大口だが、私だっておそらく闇の中に入れてすらいない。

闇に向かうためにどうしようか。

なので、今年は文学賞に積極的に習作を応募してみます、ということが言いたいのだ。

 

決して、人様から褒められたいのではない。

そうすることで会得できる自分と向き合う闇への入り口に入るためだ。

私の創作が世に迎合したと言われたくない言い訳を先手を打って口説きたかっただけ。

 

だれも、そんなこと言わないのに。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

 

 

2020年 年頭言

 

どうもこんばんは。

2020年も始まって2週間が経とうとしているが、今更ながらに、明けましておめでとうございます。

今年も気まぐれで綴る駄文にお付き合い願っておきます。

いくら自分の文章を卑下しても、こんなところで世間様に垂れ流すんだから、やっぱり読んでいただきたいという、見え透いた欲があるのだ。どうしようもない。人様に見せるんだから、それなりのものを書きたいはずなのに、そのためにすべきことはしていない。つまり、内容の良し悪しを度外視した練習量、コンスタンスに書くことだ。

未完成を100作書くよりも、完成作を1作書くほうがよっぽど神経を使う。今年はその一作のために、時間と体力と、精神を使いたい。

それでも、やっぱりくだらないことに時間を割いてしまうのか…。完成させないのか…。

 

今年は26歳になります。

世間で偉いとされている人たちが26歳の時に何しいていたのか、覗いてみたが、大したものはなかった。せいぜいアインシュタインが「相対性理論」を発表したとか、長谷川町子の「サザエさん」が連載スタートとかくらいで、そんなに目を惹くものがない。

なるほど、大抵の偉い人たちは26歳の頃には、もうすでになにかを成し遂げているわけだ。どうりで、そんなにたくさんないわけだ。今から私が偉くなろうと思っても、過去の偉い人たちを見るに手をくれなわけだ。

そもそも、偉い人ってなんだ?私はそんなのになりたいんだっけか?

 

バイトの大学生たちになんだかモヤモヤする。

2週間のホームステイを堂々と『留学』と言えてしまう浅はかさ。その浅はかさを「若さ」というのか。

これからなにをかしようとする分岐点にいる彼らと、いつのまにかその分岐点を過ぎてしまったらしい私と。なんだが物悲しい。もう一度、分岐点にたちたい。いや、常に面白い選択肢を目の前に並べて、分岐点にいたい。

そのために自分がどうあったらいいのか。もっと興味の幅を広げて、何かに固執せずに、常に捨てれるようにいたい。

つまり、捨てれないものを持つとどんどんつまらなくなる。捨てないでいることが、選択肢を狭める。いつでも捨てれる自分でいたい。生活の安泰が一番の敵なのか…?

 

最後に手帳の走り書きの詩のようなものを。

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すっとんきょうな夢のつづきを見よう

それとも現実になじんで

もうそっちの人間になったのか?

そっちの人間の方がえらいなんちゃ

思ってねぇよな?

夢がみれないことが弱さだって

そっちの人間はいつも忘れるんだ

だから、強くいこうぜ

そう、すっとんきょうな夢のつづきをみよう

1月11日。

この日、高校の部活の仲間と新年会をした。

高校時代と変わらないところと変わってしまったところと。変わってないところが懐かしいからこそ、変わってっしまったところが寂しい。帰りの電車で書いたものだ。

これを見て思うのは、一つ。もう少し丁寧に字が書けるようになろう…。

 

今年もお付き合いのほど、どうぞ願っておきます。

では、こりゃまた失礼いたしました。