なんてたってジョニー

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手に

ANN時代、アーティストの乱でのいじりの方が炎上もの

 

どうもこんにちは。

 

とても眠い。

なぜかって言うと寝てないから。そりゃ眠い。

でも寝てる場合じゃない。なんせ今週のラジオ界隈はスペシャルウィーク聴取率、つまりラジオ版視聴率を集計する一週間。各番組が企画に思いっきり力を入れ、リスナーもいつも以上にメールを送る一週間。そんなラジオがつまらないわけがない。で、リアルタイムで聞かないわけがない。

そりゃ、寝不足にもなりますわ。

 

昨晩はTBSラジオで0時から放送の「アルコ&ピースのDCGarege」と続く1時からの「爆笑問題カーボーイ」を聴いて近所の迷惑も省みずに声を出して爆笑。

毎度のことながら、お隣さん各位には申し訳ないです。

 

で、アルピーの方が実はちょっと炎上してて、番組がどうなるか気が気でなかった。

というのも、SWのテーマが「アベンジャーズからファルコンを脱退させよう」というもの。

f:id:sascoca:20180613171050j:image

これがそのファルコン。

生身の人間が機械の羽付けただけじゃん。武器はただの銃かよ。ジョギングでキャプテンアメリカに抜かれるなんてザコ。

と、まあ色々あってファルコンをアベンジャーズから脱退するように説得する音源を送ってくれというのがテーマだったわけですが、これにアベンジャーズファン、特にファルコニスト(そんなのいるの?)が大激怒。炎上。

そんなことがあって一リスナーとして、番組のいく末が心配だったわけです。

 

結局、番組は冒頭で企画の中止を発表し、謝罪。

で、呼ばれたゲストが歌手の土岐麻子さん。

 

これがまた3週間ほどの前のアルピーのひどいいじりから始まっている。

平子さんの息子さんの運動会の話から「偉大なるサバンナ計画」なる意味のわかんないコントが始まる。その直後に掛かった曲が土岐さんの「Black Savanna」という見事な流れ。

 

そのあと、数週間に渡る土岐さんいじりがひどいこと。

顔が浮かばない。天真爛漫なブス。と、まあひどい。

そんないじられ方をツイッターエゴサしてたら見つけちゃったご本人登場というわけです。

 

アルピーのラジオの楽しみは、その意味のわかんないコントから広がる世界観とそこに重なるようで重ならないこれまた独自の世界観をぶつけてくるリスナーとのやりとり。

ファルコン脱退だって偉大なるサバンナ計画だって、まさにそのラリーから生まれた世界観。

これを理解しようなんてのは一朝一夕じゃ出来やしない。ましてやここ数週のファルコンの件だけを切り取って聞いている人には当然伝わらないでしょう。

 

かたやアベンジャーズファンはこれに目くじらを立てて炎上、一方の土岐さんは世界観も訳もわかんないけど一緒に楽しんじゃう。どちらが正義のヒーローらしいのかしらね。

 

土岐さんをゲストに迎えて設けられた新たなメールテーマは「『Black Savanna』の歌詞の解釈」を募集するもの。

これにはリスナーの世界観がこれまた炸裂する。それを聞いてアルピーと共に笑う生みの親の土岐さん。

そして番組最後の締めは「解釈は人それぞれ」という今回の炎上の首謀者たるアベンジャーズファンに向けたなんとも皮肉めいた一言。ちょっとした半沢直樹的爽快感。

 

思えば、アルピーはANN時代からなにかとリスナーと一緒になって有名人をネタにいじって笑ってきた。でも、どれもこれも当人に愛情と敬意があってのことで、今回のファルコンだって、なによりもアルピーの2人がアベンジャーズファンなのだ。決してアベンジャーズ知らない外野が面白半分で取り上げた訳じゃない。

その辺りをよく知ろうともしないで言葉尻だけを切り取って炎上させたファルコンファンにはがっかりだ。

しかし、同じようにいじられても土岐さんのように一緒に楽しめる心の広さというか、わんぱくさを持ち合わせた人もいて、よっぽど土岐さんの方がヒーローに思える。

 

Black Savanna

ちなみにこの曲、暗喩がよく聞いたいい曲です。

 

この番組を聴いていた爆笑問題太田さんがカーボーイ冒頭でこんなことを言う。

アベンジャーズって正義のヒーローだろ?それを好きならそんな湾曲して捉えて炎上させるとか1番卑怯な事だと思わない?そういうのを贔屓の引き倒しっていうんだぞバカヤロー

本当におの通りだと思う。

 

炎上させたアベンジャーズファンのおかげで番組は思わぬ方向に面白くなったね。

 

ゲストがダイアンというだけで不安がゴイゴイスーな今夜の不毛な議論。

毎年楽しみになってるヤレる総選挙のメガネびいき。

いまいち内容が掴めないけど、楽しいことを確信しちゃうバナナムーン。

こんな楽しみがもう少し続くと思うと、ワクワクして寝れるわけがない。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

 

 

 

 

3億で建てれちゃう美術館って中途半端じゃない…

 

どうもこんにちは。

 

昨日からツイッターで話題になっている某お笑い芸人の美術館募金強要ブログ問題について。

私はこれが非常に不愉快で、気色が悪くて仕方ありません。

 

自分が美術館を設立した為にこさえた3億の借金返済のためにみんな募金して、俺を助けろと、見過ごす奴が下衆だと。

この発言の根底には「俺が作るものはみんなに望まれている、その俺が作る美術館もみんなのためになるものだ。つまり、みんなのために生活かけて3億の借金をするんだから助けて当然、見過ごす奴は下衆。だってみんなのために作った借金だもの」って考えがありありとしてますよね。

でなければ、こんな突拍子も無い発想にならない。

 

で、こんな考えを持った人間の作るものはたかが知れてて、面白くなんかないんです。

私のこの「面白くない」という発言の尻尾を掴んで、「それは個人の感性だ」というんでしょう。そうでしょうよ。それは個人の感性ですよ。

あなたの作品をいいと評価して、美術館に賛同するのも個人の感性ですよ。そして、その逆のあなたの作品を評価しない、美術館に賛同しないのも個人の感性です。しかし、あなたの「見過ごす奴は下衆」という発言は、「美術館に非協力的な者=俺の作品を評価しない奴は下衆」と換言出来ます。

 

みんながみんな、あなたの作品、そしてそれが並ぶ美術館が町興しにひと役買って、なおかつアートとして評価され得るものだとする感性を持っているわけではありません。むしろ、世の中にはその逆の人の方が多いのです。

世の中の半数以上の人間から自身の作品を評価されている創作家なんて学校の教科書に出てくる人ぐらいなもので、多くの創作家は批判の声の方が多い中で創作活動をしているものです。

 

あなたの美術館然り、関心のない、評価しない人の方が多いのです。それらをくくって「下衆」だというにはあまりも乱暴すぎる。

自分の作品を評価しないから全面否定するなんて、感性のレイプも同然です。

 

ここまできて、3億の借金に生活が懸かっていることについて言及してないと指摘を受けるかも知れません。

それについて触れるならば、3億の借金に生活が懸かっていることなど、作品で心が揺り動かせれなかった人間には関係ないんです。だって、感動しない絵はただの紙切れです。心が動かない音楽はどんなに高い技術でもって演奏されていても雑音です。

ならば、感動させる作品を生み出せない作家の借金は生活が懸かっていようが、いまいがただの借金です。競馬で作った3億の借金、風俗で作った3億の借金となんら変わりません。

 

そんな借金になぜ一銭でも支払わなければ、いけないのでしょうか。

それよりも作家自身が自分の作品にそんなにも自信持っていることが不思議でなりません。

 

私は創作活動とはもっと葛藤を孕んだものだと考えています。

自身の中で創りたいものと実際に形になったものとの落差に創作家は苦悩するのです。もっと頭の中の創作本能が作り出した作品に近づけようともがくんです。

本当に何かを創りたいと思う人間の頭の中には、滅多なことで形にならないものが、作り上げられているのです。

自分の作品に自信が持てるということは、頭の中で作り上げたいというものがその程度のものでしかないんです。それしきの創作本能でしか動いていないんです。

作品だってそんなもんです。

だったら美術館に賛同する人間だってそんなもんしかいないんです。

世の中は下衆なやつばかりです。でも、その下衆こそが正しい審美眼の持ち主です。

 

とはいえ、本物がまかり通らない、本物の価値が転覆したこのご時世です。あんなんでも評価されるんですかね。

「神は死んだ」と新たなカ価値観を示したニーチェの嘆きがわかるような気もします。

 

本物は死んだ。

平成の次ぎに来たる新たな時代の新たな価値観かも知れません。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

まだ一年、もう一年、なんせ一年、揺蕩う一年、要するに一年

 

どうもこんにちは。

 

今日でここ茅ヶ崎に越してきてまる一年。

 

一年前の今日は日差しが 突き刺さるように暑く、ジメッたい風がうざったい日だったな。

高校の同級生3人に手伝いをお願いし、当時居候していた祖母んちからレンタカーしてした軽トラに荷物を乗せ、運転手を引き受けてくれた友人と私が軽トラに、残り二人は祖父が運転する車で茅ヶ崎に移動する。

軽トラ組は途中、管理会社に寄って鍵を貰わにゃならんので、藤沢に寄る。軽トラ組が藤沢から134号線に出たあたりで、祖父組がうちの裏にあるデニーズに着いたと連絡が入る。しょうがないので、そこでお茶をしてもらい、遅れて軽トラ組到着。

 

なんせ私も初めての引越しで段取りが悪く、家具を組み立てるドライバーを用意してなかったり、レンタカーの返却をお願いしたものの、「行きはよいよい帰りは何とか」ってやつで2キロぐらいを歩かせたり、気を利かせたつもりで昼食に頼んだデリバリーピザの注文先住所を間違えてたり、まあ友人達もよく付き合ってくれたもんだね。

 

夕方に駅まで友人達を送って、帰りがけにちょっと海まで散歩して、ここがこれから住む街かぁなんて、不動産屋のCMみたいなこと思って、平塚との境にあるスーパー銭湯行って、駅前のバー行って何杯か飲んで帰宅。のち就寝。

 

慌ただしい一日だったね。

懐かしいやね。

 

あの頃はどんな生活にしようかワクワクしてた。

何でもできると思って越してきた茅ヶ崎だもんね。何でもやんなきゃね。

荒んだ生活してる場合じゃないね。やりたいことを飲み込んでる場合じゃないね。

いろんなところに活動的に動いていろんなものをみて、考えて、自分でも作ってみたい。

世の中にはまだまだ私の知らない面白いものがいくらでもあるのね。

茅ヶ崎での一人暮らしも言ってみれば、その面白いものを体感しようとしていたのかもしれないね。一人で海の近くで暮らすなんて面白いことじゃない。

 

明日からまた面白いものに敏感になろう、なんて思う今、渋谷で開催中のゴットタンミュージアムに向かうべく東海道線に揺れてます。その前に気になっていたジャズ喫茶に。

面白いにもいろんなジャンルがあって、それも面白いね。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

 

いい街です

 

どうもこんにちは。

 

茅ヶ崎に越してきてもうじき一年。

いい街です。それだけを言いたくてした更新ですが、流石にそんな身もふたもない内容じゃ、時間を割いてくださる皆さんに失礼なので、もう少し何か考えます。

 

仕事帰りに茅ヶ崎の一歩手前で途中下車して、大きなショッピングモールに行くことがしばしば。

私が高校生くらいの時に出来たモールは私の地元で言えば、町田と海老名と相模大野を一緒くたにしたような感じ。それだけなんでも揃ってるってこと。

でも、何回か通うと足を運ぶお店は限られてきて、いつの間にか、乗るエスカレーターから通るコース、各お店の滞在時間、休憩で入るサンマルクでオーダーするものまで決まってきてしまう。

 

こうなると、このモールに立ち寄る面白みがなくなってしまう。

それだったら、茅ヶ崎の駅ビルでもいいじゃないかとなる。

 

じゃあ、行ったことないテナントに入ってみよう。

と、いつも入るテナントの隣にある初めて入るようなインテリアショップ、雑貨屋に入ってみると、なんだか落ち着かない。

そんな事ないんだろうけど、店員さんの目が「今まで顔を出さないくせに、よくのうのうと今更来たね」って物語ってるようで居心地が悪い。

仕方ないから早足でぐるっと回っていつもの隣に入る。安心感。店員さんの目が「おかえりなさい」と言っている。安堵感。やっぱりここだ、と落ち着く。いつも通りのレイアウトですね。いつも買おうか迷ういい器。でも、今日はいいかなと買うのを見送る。これもお決まりのコースのうち。

 

ここにいてばかりもいられず、意を決してさっきとは反対のテナントに。

ああ、ここも2軒隣と同じ視線を向けてくるのか。

 

ん?なんか違う気がする。さっきから私に刺さっているのは店員さんの視線だろうか。

いや、店員さんは口角が上がって、目尻が少し下がったお手本通りの笑顔だぞ。

 

そうか、私に刺さるの店員さんの視線でなく、いつものお隣より0が一個増えた値札だったのか。

たしかに、こんな金額、今の私には出せないな。

というわけで、私の趣味と財力で作られたコースはもう少し変わりそうもないんです。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

 

 

夏日、真夏日、猛暑日に新定義

 

どうもこんにちは。

 

暑い日が続く今日この頃ですね。もうこの季節かと一年の早さを感じちゃう。大晦日も今年も早かったなと、思うけど、それ以上に夏の方が繰り返されてる感じがする。

 

気象庁によると、夏日ってのは「25℃以上の日」、真夏日ってのは「30℃以上の日」、猛暑日っていうと「35℃以上の日」ってことになるらしい。

http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/faq/faq3.htmlより

 

まあわからなくはないけど、面白くもない。

 

そこで私だったらどう定義するか考えてみた。

夏日は「外で、出来れば海でコーラが飲みたくなる日」、真夏日は「『波乗りジョニー』が聞きながら自転車で走り出したくなる日」、猛暑日は「海で『波乗りジョニー』が聞きながら、コーラ飲みたくなる日」

 

どうでしょう。

うん、とても私らしい。

 

でも、コーラってのはたまにサイダーだったりカルピスだったり。『波乗りジョニー』は『め組のひと』や『夏の日の1993』になったり。

定義って言ってるのにあやふやだとダメかしら…。

 

これくらい自由でもいいじゃないか。何もガチガチに数字で決めるこたぁないじゃないか。

なんせ夏だもの、これくらいの緩さがいいじゃない。

 

勝手なもんですね。

と、これ書きながら『みんなのうた』聞きながら、思いましたよ。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

 

 

現代アートに向いた牙が突き刺さる 〜のん「女の子は牙をむく」〜

 

どうもこんちは。

 

一昨日は結構な雨の中、渋谷に行って来ました。

お目当は「創作あーちすと」のんさんの個展「女の子は牙をむく」でした。

 

まあ、渋谷の人の多さはびっくりだね。

一年前に茅ヶ崎に出て来るまでは都内をメインに行動してたので、それが当たり前だと思っていたけど、いったん離れてみると、なんで自分があんなところにいれたのか、歩く導線を自然と見つけていたことに驚く。

 

さて、ロフトの辺りを彷徨いながら、フラフラしながら坂の途中になんとか見つけた「GALLERY X BY PARCO」へ。

早速、中に入っておみくじ付き入場券を買う。裏のおみくじにはこんなことが。

牙凶 

身から出た牙に気をつけよ

うーん、特に上手いことを言おうとしているようではないけど、諺に掛けてみようという意図だけが感じ取れるなんとも言えないお言葉。

 

中はそんなに広くないものの四方はもちろん、床や天井までのんさんの作品で埋め尽くされていた。

思っていたよりも分かりやすい絵が多く、モチーフが感じやすいものが多かったのは、ちょっと驚きました。

 

のんさんの絵を中心に、天井には彼女のデザインのワンピース。床には「止まれない」と記された横断歩道を模した作品。

f:id:sascoca:20180510170158j:image

カラフルでモフモフのハムスター。

f:id:sascoca:20180510170409j:image

 

とにかく、「女の子」と「牙」をモチーフに何かを表現しようという意欲はすごく感じました。そのエネルギーのようなものは会場中に溢れていて、作品に迸り、流れて、作品とその間の空間を繋げていたように思います。

つまり、個々の作品を鑑賞するのと、同時に、あのハコの空間そのものを一つの作品のように感じることで違う印象を感じ取れたのです。

 

現代アートについて考えるとき、私は、作品そのものよりもそれが置かれる、展示される空間の方が大切なのではないかと考えています。

人によっては、現代アートの役割を作品が与えるファーストインプレッションにのみ重きをおく考え方の人もいます。マンネリし、行き詰まった芸術界に新しい風を吹き込めば役割は終わりだという考えです。

しかし、それに反発する考え方を、何年か前に森ビルでアンディ・ウォーホールの展覧会を観に行った時に感じた図説で見ていたのでは感じなかった印象を抱いた時に持つようになりました。それは写真と実物という物質的な関係性を超えて、衝撃的なものでした。

絵だけでなく、立体物も含め、アートの定義の終わりのない裾野の拡大を感じたんです。

 

それをのんさんの個展でも感じました。

特に、個々の作品単体よりも空間的な意味を強く感じたのは、抽象的で捉えどころのない立体物の作品を実際にのんさんが身につけ、映像として残すことで、作品の捨象されたものを丁寧に拾い上げ、具現化した映像を見た時です。

会場の一番奥のモニターには、今さっきその目で見てきた作品を実際に身につけているのんさんが映し出せれています。その映像を見てから、作品の実物に戻ると、のんさんが身につけていた時のイメージが隣の作品と重なり、物理的な作品間の空間にも繋がり生まれます。

個々の作品の印象よりも、複数のそれらがある、空間に創作あーちすととしてのんさんの弾けっぷりが伝わって来るんです。

 

女の子が内包する牙をその可愛さをもって十二分に表現していたのんさん。

その「牙」は何かを意味する記号なのか、それはどこに向いているのか。

個々の作品からの自由奔放さ、そして、それらをくくった空間が持つ衝撃。

 

とても面白い空間でした。

 

女の子は牙をむく

女の子は牙をむく

 

ではこりゃまた失礼いたしました。

 

 

五月だからって、なんでもない

 

どうもこんにちは。

 

よく季節の分からない時分だ。

5月ってこんなに夏らしい季節だっけか?もっとこう、爽やかさとか爽快感がみなぎらなかったっけか? 

でも、GWって毎年同じことを思う気がする。毎年、このじっとりとした夏の気候に首を傾げている。今とおんなじポーズを去年もしていた。

何周巡っても同じことを繰り返すのが季節なんだろうね。今年も無事に去年と変わりばえのないGWがやって来ましたと。

 

 

 

先だって誕生日でもって24歳になりました。ここまでくれば、誕生日だっていつもどおり4時半には起きて、5時23分の電車に乗り、6時には働き始める。帰りに江ノ電の駅近くでブリュレのクレープ食べて、素人の写真展をふらっと見て帰宅。何でもない1日だ。

誕生日が特別でなくなるくらいには大人になったんだ。そういうことにしておけば、ちょっと喜ばしいのではなかろうか。

SNSで私のページを開くと派手に風船がうちあがって、私の誕生日を世界中に知らせる。そんなことしないでよと、ちょっと恥ずかしく思う。誕生日が特別でなくなるくらいに大人になったんだから、特別扱いしないでよって気になる。

こうなったら、SNSの誕生日を毎日更新して、毎日風船を打ち上げてやろう。

なんせ誕生日は特別でないんだ。だったら、誕生日が毎日でも特別なことじゃあるまい。はて、こんな発想本当に大人かしら。

 

 

 

歌手でも作家でも私はとんでもなく素晴らしいと思っているのに、全然世に出て来ない人もいる。不思議だ。私が世間の集合体になれたら、きっと彼ら彼女らは偉大なアーティストなのに。

 

Singles in the Pot

Singles in the Pot

 

歌手で言えば、CAMARUさん。

体に染み込んでくるヴォーカルは耳を、鼓膜を通していないんじゃないかと思う。でも、力強く、芯がある。私の大好きなヴォーカリストの一人。

なかでも一番好きな曲はオリジナル曲の「シリウス

シリウス

シリウス

  • CAMARU
  • J-Pop
  • ¥150

 

あれ、今夏か。シリウスって冬の星だっけ?

でも、夏とか冬とか関係ないよね?

だって大瀧詠一さんは森進一さんに書いた「冬のリヴィエラ」をさ、英訳して「夏のリヴィエラ」って歌ってんだから。

あ、そういう話じゃないか。

 

 

 

今日はアラカルトで三話題ね。

伏線張ったわけじゃないから、ラーメンズ東京03バナナマンみたいに最後に回収みたいのはございませんよ。タイトルにも。

 

皐月だ。始まったばかりの2018年の折り返しがもうすぐそこまで。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。